ダグラス・マッカーサーの伝記を書いたことがある。

 もう15年近く昔だ。ある新聞に週に1回のペースで連載したところ、何人かの読者からお手紙を頂いた。

 それは年配の女性がほとんどだった。通常は、軍人や政治家の評伝に対しては、男性からの反応が圧倒的に多いので、これは珍しい経験だった。だが、その理由はほぼ察しがついていた。

ダグラス・マッカーサー(1880~1964年)、ウィキペディアより

 もともと私がマッカーサーに興味を持ったのは、彼の占領政策とか、軍人としての評価、あるいは日本に対する認識の変容といった理由からではなかった。それらはすでに専門家が緻密な検証を重ねており、優れた研究書がたくさん出版されている。

 そうではなくて、人間としてのマッカーサーの弱点が面白いと感じていた。

 あんなに権力意欲が強くて、占領下の日本のすべてを仕切った連合国司令長官が、本当は、精神的に極めて脆弱な部分があったのは、なぜだろうという疑問を抱いて調査を開始した。

 そのきっかけとなったのは、彼の自伝を読んだときに浮かんだ疑問だった。

 素人の眼から見ても、これは嘘だろうとか、勘違いだろうと分かる記述が非常に多いのである。自分の生涯を、これほど飾り立てなければ気がすまなかったのは、異常とも言えた。

 そこで、日本へ来る前のマッカーサーの私生活を探ってみたいと思い立った。自伝を粉飾する人物の背景には、何が潜んでいるのか。

 いたって女性的な好奇心と言われれば、その通りかもしれない。天下国家を論じるのも大切だが、自分の足元の日常に注意を払う傾向が強いのは、やはり女性の方だと思う。

 マッカーサーの些細なエピソードを調べ上げて書きたいというのが初めからの趣旨だったので、多分、そこのところで女性の読者の共感を得たのではないだろうか。