さる12月22日、福島県相馬市で市長選挙が行われました。当初の予測に反し、現職がわずか200票差の僅差で辛勝するという事態に、関係者は皆呆然とされていました。現在の被災地における政府コミュニケーションの難しさを実感する出来事でした。
実は相馬市長選の前、福島県では6市で連続現職が敗退するという「現職落選ドミノ」現象が起きていました。これは対抗馬と現職の争い、というより、住民の現状への不満が噴出した結果だと思われます。
「政府」という集団に対する不満は、福島に限ったことではありません。2011年6月に15歳以上の男女1200人に対し行われたアンケートでは、「災害時における情報源として最も信頼できないもの」につき、59.2%が「政府・省庁」であると答えています*1。
2010年の同じ調査ではこのように答えた人が22.7%でしかなかったことを考えると、福島第一原発事故が国民の政治不信に与えた影響の大きさがうかがえます。
この事態を傍観し、批判することは容易です。しかし人災であれ天災であれ、災害がある限り、私たちは何かを学ばなくてはいけないと思います。ではこの事件から私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。
福島におけるクライシスコミュニケーション
2011年3月11日15時27分、高さ15メートルの津波が福島第一原子力発電所に押し寄せた結果、1~3号機で電源が断たれ(4~6号機は定期点検中)、緊急炉心冷却装置は機能を完全に停止しました。19時30分に東京電力(TEPCO)は「メルトダウンの恐れあり」との報告を政府へ上申しています。
12日午前2時には1号機に続き3号機でも非常バッテリーが尽き、4時には炉心が完全に露出。15時36分に1号機、14日11時には3号機が爆発しました。
しかし政府は、3月11日16時55分の時点で「放射能漏れを認めず」と公表した後、沈黙します。19時3分原子力緊急事態宣言が発令されたものの、格納容器には問題がないとの公表を続けました。
3月14日の記者会見においても、炉心の異常があったことを認めたものの、「放射性物質が大量に飛び散っている可能性は低いと認識している」と発表を行いました*2。政府が公式にメルトダウンが起きていたことを認めたのは2カ月後の5月になってからのことです。
実際に原発周辺に住まれていた方の中には、12日、14日に、実際に爆発音を聞きながらテレビ画面を見ていた方もいます。
「飛び散っている可能性は低いと言ったって、あの音と煙で信じられるわけがない」
「安全だと言いながら『事情を聞きたい』と言って50キロ圏外まで呼び出されたら、信用できるものもできなくなってしまう」
「『福島に入った』ってアピールした人もいたけど、あれは山の向こうの中通りのことでしょう? こっち(浜通り)には来てないじゃないか」
当事者感の欠如した視察や報道に憤りを覚える発言は、いまだに現地で聞かれます。