2013年10月15日、飯舘村長泥の試験田で稲のサンプルを採取する丸山福島復興局長、菅野村長、鴫原区長(左から)をカメラが追う。田を囲むフェンスや電気柵はイノシシ避け。道路を挟んで反対側の農地は未除染

 ふくしま再生の会の試験作付けサンプル採取から10日後の10月15日、長泥でのサンプル採取が行われ、再び多くの報道陣がゲートを越えた。

 田んぼ前の国道399号線に車が列をなし、鎌を持って田に入る菅野典雄村長、鴫原良友長泥区長、丸山淑夫復興庁福島復興局長をカメラが追う。

 再生の会のサンプル採取では1枚の田のどの箇所から採取したか記録され、1箇所から採取する株の数も決められていたが、長泥の試験田では特に決まりごともない様子で局長、村長、区長が並んで田の端から刈り進めていく。その鎌を振るう手元に、居並ぶカメラのレンズが一斉に向けられる。

 時折カメラマンからポーズの注文が飛ぶ。村長と区長が「実際にはこんな(刈り取った稲の)持ち方はしないんだがなあ」と言いながら注文に応える。刈り取った稲は畦に広げたブルーシートの上にまとめられていく。刈り残した稲は廃棄処置としてそのまま田に鋤き込まれる。

 試験田の広さは5畝(せ、1畝は約1アール、1反の10分の1)、ゲートが設置された峠から下る399号線沿いに同程度の広さの田が棚田状に並ぶ。道路を600メートルほどさかのぼった場所にある貯水池から上隣の田にホースで水が運ばれ、そこに貯められた水を試験田に流し込む。

 飯舘村には「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3つが混在する。国直轄の除染事業はまず制限区域、準備区域で進められ、村内唯一の帰還困難区域である長泥では除染自体、いつ本格的に取り掛かるかも分からない状態にある。

 ゲートで隔離され除染も行われず、長泥はこのまま捨て置かれるのではないかという住民の不安の声を受け、当面、除染効果を実証的に測るという名目で「モデル除染」が継続して行われることになった。試験作付けは営農再開支援事業に位置づけられる。

 除染を見る住民の視線は長泥という局限された地域の中でさえ一様ではない。試験作付けで成長する稲を眺めて「癒やされるなあ」「やっぱりいいなあ」と言う人もいれば、なんの意味があるのかと批判的に捉える人もある。

 批判の声の根底にあるのは、除染そのものへの疑問はもちろん、この場所での生活再建が可能なのかという不安もある。住民がなにを言おうと上で決められたことが決められたとおりに進むだけではないかという行政に対する不信もある。

 そうした声を直接聞くのは率先して動いている鴫原さんだが、鴫原さんにしても必ずしもいまの除染の考え方がそのまま住民の帰村、地域の再生を約束するものではないと感じている。

 先ごろ朝日新聞が伝えた飯舘村民へのアンケート調査結果では、長泥住民からの回答は「戻るつもりはない」が48%だったという。鴫原さんの実感では「いまのままだと7~8割は戻んねえぞ」とさらにシビアだ。

 それでも鴫原さんは「コミュニティー」を考え方の根底に置く。この11月には、避難で散り散りになった年から毎年続けている地区住民の懇親会を今年も福島市内で開く。地区総人口220人ほどのうち一昨年、昨年はそれぞれ150人前後と7割程度の人が顔をそろえた。

 これだけ集まれば当然、そこにいるのは戻りたいと考える人ばかりではない。それでも「戻るつもりはない」人もコミュニティーの一員であることはごく当たり前のこと。

鴫原さん宅の竈の神棚に3年ぶりに初穂が奉じられた

 試験作付けへの地区住民からの批判の声も鴫原さんは「批判するってことは、そこに気持ちが向いてるってことだから、それでもいいんだ」と受けとめる。

 コミュニティーの中にはさまざまな考え方があること、それをまとめる筋道は一本ではないことを、その中で生きてきた人は知っている。「戻る」「戻らない」を決定づけるものが線量だけではないことを知っている。

 サンプル採取後、鴫原さんは刈り取った稲のひと株を持ち帰り、自宅の竈(かまど)の神棚に奉じた。毎年同じようにやっているから、今年のコメの出来具合が分かるのだと言う。

 事故の前の年と比べて今年の出来はどうですかと尋ねたら、「いや~、分かんねえな」と笑って答えた。2年半分の空白がここにある。

(撮影:筆者)