クリント・イーストウッドの代表作の日本版リメイク『許されざる者』(2013)が現在劇場公開されている。
20年前、アカデミー作品賞、監督賞などを獲得したオリジナルは、『ダーティハリー』(1971)のドン・シーゲル監督、そして、黒澤明監督作『用心棒』(1961)の非公式リメイク『荒野の用心棒』(1964)など、出世作となった3本のマカロニウェスタンを監督したセルジオ・レオーネという、すでに故人となっていた2人の恩師に捧げたイーストウッド渾身の作である。
北海道の大自然をバックに見事に蘇った名作
イーストウッド自身「最後の西部劇」と位置づけ撮られた『許されざる者』(原題は「Unforgiven」)の主人公は、西部のフロンティアが消えつつある1880年、小さな農場で2人の子供と静かに暮らす初老の男。
しかし、かつては冷酷な人殺し、強盗として世に恐れられた男だった。
それが、同じ1880年の北海道、日本の北の「フロンティア」とも言える地に舞台を換えた今回のリメイクでは、江戸から明治へと時代が移り変わるなか、官軍に敗れたため北海道へと逃れてきた幕府軍残党となっている。
3年前に亡くした妻との約束で、かつては「人斬り十兵衛」と恐れられた主人公も、今は殺しから足を洗っている、という設定もオリジナルに準じたものだ。
そして、幼い子供たちのため、生活苦から抜け出そうと、再び剣を取り、仲間を傷つけられた女郎の復讐心が生んだ報奨目当てに、恐怖政治を敷く街の独善的支配者とも戦うことになる。
このあたりのプロット、登場人物や細かな設定なども、オリジナルにほぼ忠実。イーストウッド版を見た者には物語という面での新味はない。
しかし、「正義vs悪」というありきたりの構図もなく、復讐や金銭目当ての暴力、権威体の歪んだ正義など、次々と登場する「許されざる者」のキャラクターが、北海道の壮大なる自然をバックに、新たなる命を得ている。
イーストウッド版は、コロンブスの新大陸「発見」から500周年となる1992年、先住民問題を再認識する風潮のなか製作された。しかし、ケヴィン・コスナー監督主演作『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)とは違い、そうした問題を積極的に取り上げてはいない。