週末版で「地熱発電が日本の総発電量の50%以上を賄える」可能性がある技術について触れた。これは特許が出願されたばかりの新しい技術であり、実現にはしばらく時間がかかる。

 しかし、日本が本気でエネルギーの海外依存度を下げる(原発も燃料は100%海外依存)つもりならば、技術開発が加速して実現までの期間もコストも大幅に下がる可能性がある。

 なぜなら、日本は世界で最も地熱発電に適した地域の1つであるにもかかわらず、ある時を境にして地熱発電への熱を一気に冷やし世界一の技術を放置し続けてきたからだ。その結果、世界のトップを走っていた技術のいくつかで海外勢に追い越されてしまった。

 しかし、米国のシェールガス革命によって新しい掘削技術などが次々と開発されている。そうした環境変化の中でこそ日本の高い技術力は生きるわけで、あとは本気で取り組むかどうかである。

 2011年3月11日の福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、再び地熱発電に対する関心が高まり始めているのは好ましい兆候である。そして規制緩和によって、実際に事業参入する企業も増え始めた。

 今回は、前回紹介した延性帯涵養地熱発電の考案者である弘前大学の村岡洋文教授(北日本新エネルギー研究所長)のお話や資料を基に、日本における地熱発電の歴史と海外の状況について簡単に振り返ってみたい。

地熱発電の失われた15年

 日本経済に失われた15年、20年という言葉があるように地熱発電にも「失われた15年があるんですよ」と村岡教授は言う。

 バブル崩壊からデフレへ経済が向かうのとほぼ軌を一にして日本の地熱発電は停滞を始める。それまで順調に発電量が伸びてきた地熱発電は、1994年に54万キロワットに達すると、全く発電量は増えなくなった。

 一方で、地熱発電に関する国の予算は急速にしぼんでいく。1997年には新エネルギー法(新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法)が成立し、太陽光発電や風力発電と肩を並べていた地熱発電は新エネルギーのカテゴリーから外されてしまった。

 そして2002年、ついに地熱発電に関する研究開発予算はストップされてしまう。

 研究開発の大きな拠点の1つだったつくば市にある産業技術総合研究所(産総研)では、地熱発電に関係する研究部門が5つあったのが次々と閉鎖され、最後には研究員が4人の小さな部門だけに集約された。

 その最後に残った部門の研究リーダーだったのが、現在の村岡洋文・弘前大学教授である。