前回、「世界の流れに逆行する日本企業の対中投資 巨大市場にまだまだ未練あり?」というコラムを書いた。日中間の関係悪化や中国の景気減退、各国の対中投資意欲の減退傾向などがある中で、まるで日本だけが世界の流れに逆行しているかのような現象を取り上げた。
筆者にとっては不思議に思えるこの現象だが、最近、日本企業の対中ビジネスへの“未練”の原因がなんとなく見えてきた。
7月、筆者はある会合でスピーチをする機会に恵まれた。昨今、中国ネタは関心が高いのか、大変多くの方にお集まりいただいた。同時に、参加者たちによる「ひとり一言」を拝聴することもできた。それは例えば次のようなものだった。
「1990年代に中国に駐在しました」
「2007年に中国から帰国しました」
「工場の立ち上げで上海に3年ほど駐在しました」
中国とビジネスで関わりのある日本人は想像以上に多く、誰もが何らかの苦労した思い出を持っていることに驚かされた。
商談スタートの儀式は「地獄の責め苦」
都内で会社を経営するSさんは、こんな体験談を披露した。
「某大手商社の方と一緒に上海に出張したことがあります。そのときは、パトカー数台の護衛つきで送迎され、高級幹部の食事会に招待されて乾杯攻めにあいました。日本男児の恥にならぬよう、全ての杯を飲み干しました」
飲み干したお酒というのは、白酒(バイジュウ)だ。相当に高いアルコール度数のため、グラスに少量でもあっという間に酔いが回る。中国の宴席ではそれを来賓者の数だけ飲み干さなければならない。「私は飲めないのでご勘弁」は基本的に通用しない。中国側が「さあ!」と杯を掲げると、否が応でもそれに応じなければならない。「診断書を提示しない限りは辞退することができない」という、中国ビジネスにつきものの“地獄の責め苦”の1つである。
ただし、13億人の市場の入り口だと思えば、その地獄の責め苦も耐えて忍ぶこともできた。