「Master of suspense」とも呼ばれるアルフレッド・ヒッチコックを主人公とした映画『ヒッチコック』(2012)が、現在劇場公開中である。映画に詳しくない者でもその名を知る数少ない映画監督の1人、ヒッチコックが、その最高傑作とも言われる『サイコ』(1960)を完成させるまでの製作秘話は、妻アルマとの微妙な関係を綴った物語でもある。
巨匠ヒッチコックの足跡をたどる
そんなヒッチコックが没してからもう30年以上となる。映画ファンには今さら語るまでもないことかもしれないが、ここでざっとその足跡をたどってみることにしよう。
1899年、世紀末の英国ロンドン郊外で青果卸の息子として生まれたヒッチコックは、父親が敬虔なカトリック信者だったことから、14歳までは厳しい寄宿舎生活を送っていた。
20歳の頃、撮影所のサイレント映画の字幕書きの職を得、やがて助監督や脚本の仕事も手にするようになったヒッチコックは、そこで、スクリプターで編集も手がけるアルマと出会い、生涯の伴侶となるこの女性から映画について多くを学ぶことになる。
1925年には監督デビュー。3作目の『下宿人』で頭角を現し、のちに『知りすぎていた男』としてセルフリメイクする1934年の『暗殺者の家』の成功でサスペンス映画作家として認められると、38年にはハリウッド入り。
『風と共に去りぬ』の大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに迎えられた第1作『レベッカ』はアカデミー作品賞を獲得、自身も監督賞にノミネートされ、米国での滑り出しは上々だった。
それからは、イングリッド・バーグマン、ケイリー・グラントなど絶好の出演者を得て、『断崖』『汚名』『白い恐怖』など成功作が次々と誕生。
そんななか、知人と共同で設立した製作会社が『山羊座のもとに』の失敗で倒産してしまうこともあったが、50年代となると、知的ブロンドビューティ、グレース・ケリーをフィーチャーした『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』で大成功を収めることになる。
しかし、そのケリーがモナコ公妃となるため銀幕を去ると、ヒロインを探し求めることに。
『ヒッチコック』でも語られているのだが、当初予定していたヴェラ・マイルズが妊娠を理由に降板、代わりにキム・ノヴァクを主役にすえた『めまい』(1957)は評価も興行成績も低調で、ヒッチコックを落胆させてしまう。