キリスト教信者が多いヨーロッパでは、週末に行われるミサに参加するのは日常の一コマだ。ミサの最中は歌をうたうことが多い。その伴奏を奏でるのが、教会の後方にそびえる巨大なパイプオルガンだ。

 ホワッとタンポポの綿毛が空に舞うようなおだやかな調べ、ゴォーという地響きにも似た重い旋律。プラド・関藤咲耶は、巨大なパイプオルガンの部品の一部になったかのように、そんな音を自由自在に作り出す。

 オーケストラの一員として、または音楽の教師として活躍する日本人はヨーロッパには多いが、パリに住むプラドは、なぜ教会のオルガニストになったのだろうか。(文中敬称略)

子どものときから描いた夢

巨大なパイプオルガンをたった1人で操るプラド・関藤咲耶さん。このパイプオルガンは、1909年、プジェ(Puget)作。3段鍵盤でストップ(音色を選択する装置)は32個。パイプオルガンは紀元前以来の歴史があり、ピアノやリードオルガンといった鍵盤楽器の出発点となった(写真:特記以外は著者撮影、以下同)

 土曜日の朝10時30分。プラドが主任オルガニストを務める教会内は、11時から始まるミサにはまだ早く、人影はなかった。パイプオルガンのある上階への階段を探していると、神父が通りかかった。

 「彼女でしたら、もう上にいますよ。こちらからどうぞ」。そう教えてもらって、古いドアを開け、きしむ階段を上っていった。ずいぶん上まできて、また古いドアを開けた。背の高い男性歌手が、プラドとリハーサルをしていた。

 「彼はこの教会で久しぶりに歌うので、打ち合わせをと思いまして」とプラド。暖房がない教会で、コート姿で男性と談笑する様子は、オルガニストとしてこの教会にすっかりなじんでいることを物語っていた。

 プラドはここで、主任オルガニストとして毎週のミサでの演奏から、洗礼式などの子どもの儀式、結婚式、葬儀での演奏までを一手に担う。

 外国人が教会専属オルガニストとは珍しい。取材前、私の周りにプラドのことを話してみたら、やはり「それは珍しい!」という反応ばかりだった。

 日本で、子どものころから高校生まで、クリスチャン系の学校に通ったプラド。ミサでパイプオルガンを弾くことは、長年、心の中で温めていた夢だった。

 「学校で定期的にミサがありました。パイプオルガンを弾いている上級生を見て、素敵だなといつも憧れていました。私も、あんなふうにパイプオルガンを弾きたい。それを仕事にできたらどんなにいいだろうって、ずっと夢見ていました。だから、習っていたピアノはやめて、中学に入ってパイプオルガンを始めました」