習近平政権が正式に誕生した。その誕生プロセスは国民とはほとんど関係がなく、長老政治家をヘッドとする派閥政治ゲームの結果だった。政権の一人ひとりが適材適所で選ばれたわけではなく、「どうしてこの人が」と首を傾げてしまうような、正当性を説明できない者が多い。かつては毛沢東も鄧小平も自らの力で政権を手に入れたのであり、指導者としての正当性を説明できた。
習近平国家主席や李克強首相らは公式メディアやインターネットで若き時代の写真を多数公開し、親民的指導者のイメージを国民に植え付けようとしている。それは自分たちに正当性とカリスマ性がないことを自覚しているからだ。
確かに、胡錦濤も習近平もカリスマ指導者ではなく普通の人である。問題は、普通の人が国家の指導者としてきちんと政治を行うことができるかどうかにある。
日本のマスコミや中国政治の専門家の多くは、中国政治を分析する際、往々にして共産党指導者個人について改革派、保守派、青年団派、太子党、上海閥といったグループ分けを熱心に行うようだ。しかし、共産党指導者個人の出身、所属と政治信条などは決して白か黒かのように安易に分けられるものではない。
例えば新しく外相に就任したのは王毅元駐日大使であるが、日本のマスコミでは、王毅元大使は日本語が堪能で親日派と位置づけられている。このような浅い見方で中国政治を考察してよいのだろうか。常識的に考えれば、一国の外相は自国の利益を最優先にするに決まっている。要するに、政治を分析するときは、ヒトよりもコトを重視すべきであろう。
「チャイニーズドリーム」に反応しない国民
習近平国家主席が指導者として政治をきちんとやっていくためには、長老の支持はもとより国民の支持を得ることが重要である。
振り返れば34年前、鄧小平は国の開放を決めた際、長老らによる猛反対があったにもかかわらず、「改革開放」を決断した。それができたのは国民の強い支持があったからである。
習近平党総書記は2012年11月就任式の記者会見で「中華民族の復興」を唱えた。さる3月に開催された全人代での演説でも、再び「中華民族の復興」を唱えた。あえて言えば、これは習近平国家主席が国民に約束しているチャイニーズドリームであって、国民にとっての夢ではない。
中国経済はすでに世界第2位にまで成長している。その現実を見れば、中華民族はすでに復興しつつあると言っていいのではないだろうか。問題は、国と民族が復興しても、国民の大多数を占める都市部住民の多数と、農村部住民のほぼ全員が復興のメリットを享受していないことにある。