同盟国日本のF15であるし、ミサイルも搭載している。パイロットの技量もはるかに北朝鮮空軍を凌いでいる。MIG-29を撃墜するのは赤子の手を捻るようなものだ。
結論から言おう。今の法制下では空自パイロットはMIG-29を撃墜することはできない。
2つ理由がある。1つは撃墜する法的根拠がないこと。2つ目は禁じられている集団的自衛権の行使に抵触するからだ。
切迫した状況の報告を受けた地上の司令官も「撃墜せよ」とは命令できない。命令すれば違法命令となる。
米国民間人を守った自衛隊のパイロットが裁判で弾劾される
仮に刑法37条の「緊急避難」という違法性阻却事由を当てはめ、パイロット個人の判断で撃墜したとしよう。パイロットは着陸後、そのまま警察に拘束され裁判にかけられる。結果的には無罪となるかもしれないが、長い裁判が終わるまで休職処分が下され、家族を含め犠牲は大きい。
このケースが厄介なのは、援護の対象が公海上空を飛行する米軍用機ということだ。まさに禁じられている集団的自衛権行使にも抵触する。パイロットは国のためよかれと思って撃墜しても、結果的には二重に掟を破ることになる。
またぞろ「自衛官の独走」「シビリアンコントロールの逸脱」と朝野を挙げて大騒ぎとなることは間違いない。
他方、根拠がないからといって、そのまま婦女子が撃墜されるのを、手をこまぬいて見ていたとしたらどうだろう。間違いなくその瞬間に日米同盟は崩壊する。進むも地獄、退くも地獄、筆者が現役パイロットだった頃、最も怖れていた地獄のシナリオである。
これは決して荒唐無稽なシナリオではない。明日にでも起きる可能性がある。もし不幸にも予想が的中した時、政府は再び「想定外でした」とでも言うつもりだろうか。
現役時代、幾度か有力政治家にこのシナリオを話し、法整備を訴えたことがある。いずれも「それは困りますなあ」で終わった。暗に現場パイロットの愛国心、使命感(つまり個人が犠牲になってでも禁を犯して撃墜する)に期待している節があったのを記憶している。
国家の存亡にも関わるこんな重大な局面を、現場の自衛官の判断に任せていていいはずがない。まして自衛官個人の犠牲的精神に依存するような政治は、もはや政治とは言えない。
だがこれが現状であり、これこそ「シビリアン・アンコントロール」なのだ。
