尖閣諸島を巡る日本と中国の衝突では米国の態度が大きなカギとなることは、このコラムで何回も書いてきた。米国のいまの態度は「尖閣には日米安保条約は適用されるが、主権については中立」という趣旨である。
ところが米国の歴代政権は実際には尖閣諸島の主権が日本側にあることを少なくとも非公式に認めてきた。その経緯もまた、このコラムで伝えてきた。アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンという3人の大統領いずれもが日本の尖閣への少なくとも「残存主権」を明確に認定してきたのだ。
「残存」とは「潜在的」とか「当面は停止状態だが、やがては必ず発効する」という意味である。要するに尖閣諸島の主権、領有権は日本以外の国には帰属しないという認識だった。
当初は「中立」ではなかったニクソン政権
ところが、この認識は1969年1月に登場したニクソン政権の時代に変わっていった。1971年10月に米国議会上院が開いた沖縄返還協定の批准に関する公聴会では、ニクソン政権の代表たちが「尖閣の主権についてはどの国の主張にも与しない」と言明したのだった。つまりは「中立」である。
しかしここで注目すべきなのは、そのニクソン政権でさえも、その上院公聴会の数カ月前までは実は尖閣の主権の日本帰属を認めていたという事実である。
この事実は、日本ではこの10月初め、時事通信が報じたニクソン政権当時の記録によって明らかとなった。時事通信のこの報道は1971年6月、当時のニクソン大統領がホワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で国家安全保障担当のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と交わした会話の内容を明らかにしていた。
その会話は当時もちろん秘密とされていたが、長い年月を経て解禁された。カリフォルニアのニクソン大統領図書館にその記録が音声資料として保管されていたのだ。
同資料の主要部分はすでに時事通信によって報道されたが、その全文を改めて入手して、内容を点検してみた。その中の尖閣関連部分を原文に忠実に翻訳紹介してみたい。そうすれば当時のニクソン政権の首脳が尖閣について本来はどう考えていたのかが、立体的に明確となるだろう。