交通事故による外傷のため急逝した反骨の映画監督若松孝二、ガンのため静かにこの世を去った「エマニエル夫人」シルヴィア・クリステル。先週続けざまに届いた2人の映画人の訃報は、1970年代半ば、映画が性的表現との関係を急速に変えていった頃のことを思い起こさせるものだった。

エマニエル夫人に殺到した女性客

1975年の正月映画 アラン・ドロン、チャールトン・ヘストン、ロジャー・ムーアなどとシルヴィア・クリステルが並ぶ

 1974年の年末。この年の正月映画は、「エアポート75」「大地震」といった当時はやりのパニック映画や007、寅さんなど、定番シリーズの新作が人気だった。

 そんななか、日比谷みゆき座では『エマニエル夫人』(1974)が封切られていた。そこに大挙押し寄せてきた観客の多くを占めていたのが女性客。

 それも、何人かで誘い合ってやって来た人が多く、その雰囲気に圧倒された男性客が尻込みするほどだった。

 「女性にも魅力の洗練されたエロティシズム」をうたい、モードカメラマンのジュスト・ジャカン監督がとらえるファッションモデル出身のシルヴィア・クリステルの姿は、異国情緒とアンニュイな文芸調の雰囲気から、ポルノとしてではなくファッショナブルで芸術性の高い作品、との宣伝が功を奏したようだった。

 翌1975年は国連が設定した国際婦人年、世界で初めて日本女性がエベレスト登頂に成功、英国ではマーガレット・サッチャーが保守党党首になるなど、強い女性の時代到来、という空気を感じさせるものでもあった。

パリでは11年間も上映され続けた

 製作国フランスは、自由の国と言いながらも、カトリック教徒の多いお国柄。当初、この映画は多くのカットを要求されていた。

 ところが、1974年4月、ジョルジュ・ポンピドゥー大統領が急死したことから事態は急変する。新たに大統領となったヴァレリー・ジスカールデスタン政権で文化大臣となったミシェル・ギイは「大人には作家の見せたいがまま見せるべし」と語り、16歳未満の鑑賞不可という年齢制限だけが存在することになったのである。

 無事公開にこぎつけた『エマニエル夫人』は世界中で大ヒット、パリではなんと11年間にわたり上映が続き、主演のシルヴィア・クリステルは1970年代性革命の象徴として記憶されることになる。

 そんな流れに乗るように、1976年、日本でも「一般」「成人」の間に中学生以下鑑賞不可という「R指定」が新たに設定されることになった。