「たくさん」あるだけではエネルギー問題は解決できない
例えば、海水には微量のウランが含まれている。海は地表の7割を占め、海水に溶け込んでいるウランを集めれば膨大な量になるはずだ。
しかし、庭に咲く花が資源としては意味をなさないように、「濃縮」のプロセスを経ていない海水中のウランは資源とは言い難い。仮に莫大な量の海水を集めてそこからウランを抽出しようとすれば、そこに大量のエネルギーを投入しなければならないので、エネルギーとしての採算が合わなくなる。
ウラン鉱山のウランも海水に含まれるウランも、同じ量を集めてくれば同じ「仕事」をすることができるが、どう考えても、最初から「濃縮」された形で存在するウラン鉱山のウランの方が圧倒的に高効率だ。「たくさんある」だけでは解決策にはならない。
同じことは、太陽光や風力などの自然エネルギーにもあてはまる。
エネルギーの質は 石油 > 太陽光
「地球に降り注ぐ太陽光1時間分は、全世界が使用するエネルギー1年分に相当する」──と言われる。このため、太陽光に期待を寄せる声は大きい。しかし、それを集めて資源として活用するために膨大なエネルギーを投入しなければならないとすれば、採算はマイナスになってしまう。
石油は、エネルギー総量に換算すれば太陽エネルギーよりもはるかに少ないが、油田に「濃縮」された形で存在する石油は、地表に降り注ぐ太陽光より遥かに良質なエネルギーだ。だからこそ、人類は石油をベースに産業を発達させることができたと言ってもいい。
自然エネルギーはおしなべて、総量は大きいが濃縮のプロセスを経ておらず、資源としての「質」は劣る。これを凝縮して1カ所に集めて使いやすくするためには、良質なエネルギーの投入をしなければならず、エネルギーの「採算」を悪化させる。