明治以来、日本は海外の先進事例を学び、真似をして、日本型にアレンジしながら付加価値をつけることを得意としてきた。こうした「政策の模倣」は、「エミュレーションモデル」(emulation model)と呼ばれる。
自動車産業に代表されるように、かつての日本は、「エミュレーションモデル」によって国際的な競争力を獲得してきた。しかし21世紀のエネルギー問題については、残念ながらお得意の「マネっこ政策」は有効な解決策にはならない。
「濃縮」されている資源こそ価値が高い
赤や白、ピンク──色鮮やかなツツジが美しい季節。通学路にある民家の庭先に咲くツツジの花をプチッとちぎってチューチューと吸った経験のある人は、きっと少なくないはず。ほんのり微かな甘味は、懐かしい記憶として残っている。
小学生のお遊びにはそれでも十分だが、通常は花にどんな甘い蜜があっても、ただ咲いているだけでは人間には意味をなさない。ミツバチが蜜を集めて巣に持ち帰ってくる「濃縮」のプロセスを経て、初めて「ハチミツ」という資源として利用可能になる。
もちろん「量」も重要だ。庭に1本植えたツツジを「資源」と言うと大袈裟だが、一面の花畑には「有効な資源が眠っている」と言ってもいいだろう。しかしその花畑も、人間がアクセス不能な山奥にあると、やはり利用は不可能だ。
この「濃縮されている」「大量にある」「物理的・経済的にアクセス可能である」ことを、元国立環境研究所所長で東京大学名誉教授の石井吉徳氏は「資源が資源であるための3要素」と定義している(石井吉徳『知らなきゃヤバイ! 石油ピークで食糧危機が訪れる』日刊工業新聞社)。
筆者は、21世紀型のエネルギー政策論では、3要素の中でも特に「濃縮」に注目する必要があると考えている。