マット安川 今回は「小沢一郎の知恵袋」と称された平野貞夫さんを迎え、小沢グループ離党の経緯や今後の展開予想などをうかがいました。

命と生活が脅かされている危機感に、20万人が立ち上がった

「マット安川のずばり勝負」ゲスト:平野貞夫/前田せいめい撮影平野 貞夫(ひらの・さだお)氏
1960年衆議院事務局に就職。園田直衆院副議長秘書、前尾繁三郎衆院議長秘書などを経て92年に参議院議員初当選。自由民主党、新生党、新進党、自由党などを経て2003年民主党に合流。04年、政界引退。『わが友・小沢一郎』『小沢一郎 完全無罪』『平成政治20年史』『消費税国会の攻防 一九八七-八八 平野貞夫 衆議院事務局日記』など著書多数。(撮影:前田せいめい、以下同)

平野 6月29日、大飯原発再稼働に抗議するデモに参加しました。最初は300人から始まったものが回を追うほど参加者が増えて、その日は主催者発表で20万人まで膨れ上がったとか。

 日本の民衆は基本的に大人しいけれど、事態が深刻になると変わります。権力が隠蔽しようとする物事の本質を見極めようと立ち上がる。大正期には富山の主婦が始めて全国に広がった米騒動がありましたが、100年に1回ぐらいそういうことが起きるんですよね。

 そもそも福島の原発事故は、人類と原発は共存できないということを神様が証明したようなものです。そのことをしっかり見据えてことに対処するのが政治家の義務であり責任でしょう。

 ところが野田(佳彦・総理)さんは、電力利権に引きずられるまま元に戻してしまった。これだけの人がデモに集まるのもうなずけます。

 年金生活の苦しさを訴えるお年寄りたち、小さな子どもを連れたお母さんたちの姿も目立ちました。彼らから伝わってきたのは、自分たちが政治に無関心であり続けたら国が滅びるという危機感です。

 原発問題に限らず、自分の命と生活が脅かされている現状について、福島だけじゃなくて日本中の人が深刻に考え始めたように思います。

 重要なのは、政党や労働組合といった既成の組織とは関係なく、これだけ多くの人が集まったということです。組織のしがらみが投票行動を決めるという構造が、壊れる可能性を感じました。

小沢氏のネガティブイメージはメディアが作ったもの

 小沢さんは本当は、民主党を出ていきたくなかったんです。国民の生活第一という政策理念にね、野田さんが戻ってくれるなら協力しますという姿勢でずっときてましたから。

 政権交代したときの記者会見でしたか、初めて大臣になった人が、マニフェストが神様だと言わんばかりに「これを実行するんだ」とやったでしょ。長妻(昭・元厚労相)とか前原(誠司・元外相)とか。