と言うのも、両国はサクランボの生産高では、世界一、二を争う存在なのだ。ソメイヨシノのような観賞に適する種ではなく、果実生産用の種が多いのである。
その原産地とも言われているトルコからイランあたりでは、サクランボは生活に密着した存在である。
さくらんぼの原産地とも言われるトルコ
そのことがよく表れているのが、イラン映画界の巨匠アッバス・キアロスタミ監督描く『桜桃の味』(1997)(桜桃とはさくらんぼのこと)の中で、自ら命を絶とうとする主人公を思いとどまらせようと、トルコ系の老人が語りかけるこんな言葉。
「自然には四季があり、各季節には、それぞれの果物がある。季節の果物は神が与えてくれる最高の恵み。それを拒むのか? 桜桃の味を捨てるのか?」
こうした四季のうつろいを生の喜びとし、植物から感じ取るトルコ人やイラン人の感性には日本人との類似性も感じさせられる。そう思えば、17世紀、オスマントルコで様々な花が栽培された頃から「花言葉」が始まったという話にも納得できることだろう。
米国でも1830年頃から花言葉は流行りだしたらしい。しかし、日本では、純潔、優美、精神美といった意味となるサクラの花言葉は、米国ではなぜか「よい教育」「正直」。
その理由は、サクラとワシントンの関係にある。
と言っても、ここで言うワシントンとはワシントンD.C.ではなく、その地名の由来となったジョージ・ワシントン初代大統領のこと。日本の「修身教育」にも取り入れられていた有名な逸話に答えはある。
父親が大切にしていたサクラの木を斧で切ってしまったワシントン少年。「サクラの木を切ったのは誰だ」と詰問する父に対し、「僕が嘘をつけないことは父さんは分かっているはずです。僕が斧で切りました」と告白したところ、「お前の正直な答えは何千本のサクラの木にも勝る」と父親に褒められた、という話である。
今や伝説とさえ言えるこの話は、ワシントンの死から間もない1800年に出版されたメイソン・ロック・ウィームスによるワシントンの伝記本に記されていた。