3月27日は「桜の日」だった。例年よりやや遅い開花予想となっているようだが、昨年は東日本大震災直後だったことから、花見を自粛した方も少なくないはず。久しぶりの花見を今から楽しみにしているのではないだろうか。
もともと、「桜の日」とは、1992年、日本さくらの会が「サクラ(39ら)」をもじり「3×9=27」の語呂合わせで決めたものらしいが、今から100年前の1912年3月27日は、サクラをめぐる国際的出来事のあった日でもある。
日本の桜に魅せられたエリザ・シドモア
舞台となったのは米国ワシントンD.C.のポトマック河畔。
例年100万もの人々が訪れ、1935年以来、全米随一とも言われるサクラ祭が、ちょうど今頃、行われている地である。
そこで人々の目を楽しませているサクラが植えられたのがその日。そしてそのサクラは尾崎行雄東京市長(当時)から米国へと贈られたものだったのである。
日本のサクラに魅せられ、米国の地で咲かせることを夢見た女性ジャーナリスト、エリザ・シドモアの25年にわたる苦労が実った瞬間だった。
そこには、日本人科学者高峰謙吉博士の尽力があったことが『TAKAMINE アメリカに桜を咲かせた男』(2011)で語られている。
今、高峰博士の生まれ故郷富山や、横浜外国人墓地に眠るシドモアの墓の傍らには、ワシントンD.C.から「里帰り」したサクラが植えられている。そして、シドモアが100年前に日本で撮影した写真の展示が今週末から横浜で始まる。
その地でのセレモニーには、タフト大統領(当時)夫人が出席していた。
しかし、ウィリアム・タフト第27代米国大統領と言われても、日本では日露戦争と第1次世界大戦の戦間期に当たり、また、セオドア・ルーズベルトとウッドロウ・ウィルソンという存在感抜群の大統領たちに挟まれる形となって、その巨漢ぶり以外、思い浮かぶものもないかもしれない。