3月17日、「21世紀になって最初に独立を成し遂げた国」として知られる東ティモールで大統領選挙が行われた。

 得票数が過半数に達する候補者はなく、最大野党東ティモール独立革命戦線(フレティリン)のフランシスコ・グテレス(通称ルオロ)党首とシャナナ・グスマン首相率いる東ティモール再建国民会議(CNRT)が推すタウル・マタン・ルアク前軍司令官の2人が、4月16日に行われる決選投票へと進むことになった。

 その結果、3位にとどまった現職のジョゼ・ラモス・ホルタ大統領の落選が決まったわけだが、選挙戦当初、候補者の1人だったもう1人の「元大統領」フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル候補が3月6日他界していたことは、あまり大きなニュースとならず、日本では報道されることもなかった。

東ティモールが歩んだ40年余りのあまりに複雑な現代史

フレティリンの旗

 しかし、考えてもみれば、この国には2002年の独立以来、グスマン初代大統領とラモス・ホルタ現大統領の2人しか大統領はいないはず。

 かといって、昨年の今頃大騒ぎになっていたコートジボワールのように、選挙戦で敗退しても大統領府に前大統領が居座るなどして、大統領を名乗る者が複数存在していたという話も聞いた覚えがないし・・・。

 この矛盾した話の裏には、2日もあれば見尽くしてしまうほどの小国が歩んできた40年余りの少々複雑な現代史が横たわっている。

 長い間、英仏蘭領の間にポツンと浮かぶポルトガル領だった東ティモール。

 1970年代に入ってもダラダラと植民地運営を続けているポルトガルの姿は『ノン、あるいは支配の空しい栄光』(1990)でも描かれているが、そのポルトガルでも1974年にカーネーション革命が起きると、アフリカの植民地は次々と独立、東ティモールでも独立の日が近いことを誰もが確信していた。

 そこに横槍を入れたのがティモール島をポルトガルと折半していたインドネシア。1975年8月、併合を企てる東ティモール内の親インドネシア勢力がクーデターを起こしたのである。

 対する独立を目指す最大勢力フレティリンが巻き返しを図ると、インドネシア軍は国境を越え、10月16日には、東ティモール民兵を従えて国境近くの街バリボを攻撃、フレティリンばかりか取材のため滞在していたオーストラリアの若手ジャーナリスト5人を死亡させる事件まで起こしてしまう。