実際に、アフガニスタンにおける貢献により、米バラク・オバマ政権のミハイル・サーカシビリ大統領に対する姿勢は明らかに大きく変化した。あるいは愛国者としてのオバマ大統領は米国の限界を感じ取ったのであろうか。本年1月には、サーカシビリ大統領をついにホワイトハウスに正式に招き入れた。
2008年の大統領選挙中はグルジアと特に関係の深いジョン・マケイン候補を支持し、さらにロシアとの戦争に突き進んだサーカシビリを、これまでオバマ大統領は避け続けてきた感がある。
劇的な変化の原因もまた、苦しい状況の続くアフガニスタンへのグルジアの積極的貢献であったと考えられる。
様々な点でも指摘されるオバマ政権の「変質」とも言える事態が、こうした小国に対する外交姿勢からも透けて見えるのは興味深い。
実戦力の向上とアフガニスタン駐屯の歴史
グルジア側には、アフガニスタン派兵に関して、もう1つの狙いがあると考えられる。それは実戦力の向上である。
かつてサーカシビリは「戦闘行為参加について、グルジア兵は制限がない。そのために実戦経験を積むことができる。軍事パレードに参加する軍隊などいらない」と述べている。
率直だがいかにも物議を醸しそうな相変わらずの挑発的な発言は、グルジア紛争からたった1年しか経っていない2009年12月の軍の前での演説である。
また、2010年9月に西部のクタイシに開かれた士官学校の開校式において、サーカシビリ大統領は、アッラーヴェルディー・ハーン・ウンディラゼという人物について言及している。
グルジア出身のアッラーヴェルディーは、17~18世紀にアフガニスタンをも支配していたサファヴィー朝イラン帝国における最も有名な将軍・地方統治者の1人であった。ちなみに大統領の母親は東洋史(特にトルコ史)を専攻する歴史学者である。
確かに、グルジア軍のアフガニスタン駐屯の歴史は長い(拙稿「アフガニスタンのグルジア人」=『カフカース』(木村崇他編、彩流社)所収=など参照)。紀元5世紀にはイラン帝国の対インド遠征にグルジア王が従軍したと伝えられる。
1300年後の18世紀半ば、1代でイラン高原から中央アジアに大帝国を打ち立てたナーディル・シャーがインドに侵攻した際、やはりグルジア軍が同行した。ナポレオンがインド遠征を企画し当時のカージャール朝イランに接近した際には、グルジア兵提供の約束が大きなインセンティブになったという。
そしてソ連のアフガニスタン撤退からわずか二十数年で、グルジア軍は再びアフガニスタンに戻ってきた。
