中国では、毎年たくさんの暴動が起きている。これらの暴動は単なる所得格差の拡大や生活上のストレスによる不満の結果だけではない。多くの事件は、市民の財産権が侵害されたことがきっかけだった。

 2007年に、私有財産権が保護される法的根拠となる「物権法」が制定・公布された。「物権」とは財産権のことである。中国では、個人が所有する財産権を保護する法律は長年制定されていなかった。個人の私有財産が恣意的に侵害されても、被害者は法に訴えるすべがなかったのである。

 だが「物権法」が公布されても、個人の私有財産権が必ずしも十分に保護されているとは言えない。むしろ私有財産権侵害関連の暴動事件が年々増加し、規模も急速に拡大している。

 こうした現状を踏まえて考えれば、私有財産の所有権が保護されるかという問題は、1つの法律が制定されただけでは解決につながらない。

自然の法則に反した「大河没水、小河乾」

 振り返れば、「改革開放」政策前の毛沢東時代は、個人の私有財産権そのものは公に認められていなかった。

 文化大革命の時、中国社会は大混乱に陥り、知識人が「反革命分子」と糾弾され、その私有財産を略奪されたりした。鄧小平の時代に入り、迫害を受けた知識人は名誉こそ回復されたが、私有財産のほとんどは返されなかった。

 こうした現実から見れば、中国社会では、個人の利益や財産は国家の利益の前では常に劣後的である。

 毛沢東時代の中国では、「人民日報」などの官製メディアでは、「大河没水、小河乾」という言い伝えがスローガンのようによく言われていた。大きな川に水がなければ、その支流の小さな川も自ずと乾いてしまう、という意味である。「大河」というのはまさに国益を意味し、「小河」は個人の利益である。もちろん、これは自然界の法則に反する言い伝えである。大河に注ぐ支流の「小河」が乾いたからこそ、大河に水がなくなるのだ。言い換えれば、個人の財産が十分に保護されるからこそ、国益が守られるのである。

 1980年代、山林資源を守るために山林が分割され、請負責任制が導入され、農民に割り当てられた。山林の請負契約に署名した農民は、木が大きく育っていれば、自らの収益になると夢を見ていた。