福島県川内村の遠藤雄幸村長が1月31日に行った「帰村宣言」には違和感を覚えざるをえない。
2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、川内村は「緊急時避難準備区域」に指定され、村民のほとんどは福島県内外に逃れた。その村民の帰村を促すのが宣言の目的であり、4月1日には村役場のほか、保育園や小学校、中学校、そして診療所も再開させるという。
遠藤村長の帰村宣言には、村人も複雑な心境を隠せない。放射能被害への懸念が消えたわけではないため、宣言直後のマスコミ取材に対し「帰村しない」と答える小さい子どもを抱える親たちの姿が印象的だった。
村民の不安が消えていないことを遠藤村長も自覚してか、宣言するにあたっては、「帰村しない人の意思も尊重する」とも述べている。ただし、「除染しながら2年後、3年後に村民がわが家に戻れるようにしたい」とも続けて語っている。帰村を大前提にしていることは明らかだ。
「一時的でも避難すれば戻ってこられなくなる」
この帰村宣言は、村民にとって帰村という「重し」をつけられたようなものではないだろうか。
原発事故が発生した直後、東京に本社を置くある大手企業は、福島県の事業所の従業員と家族を東京に避難させる処置を取った。事業所のある地域が避難区域に指定されたわけではなかったが、放射能に対する懸念が強く、そこで本社が決断したのだ。
ところが、対象となった従業員とその家族の半分も避難しなかった。その企業の社員が語った。
「避難したくなかったわけじゃないんです。強い不安がありましたから、できるなら避難したかった。しかし、避難できなかった」
その理由を、社員は続けて説明した。