慢性的な財政危機に瀕しているハンガリーで、新年早々施行された新憲法や関連法が、中央銀行や憲法裁判所、メディアなどの独立性を脅かすとの懸念から、オルバン・ヴィクトル政権への批判が高まっている。
ハンガリーが二重国籍を認めた理由とは
オルバン政権に対しては発足早々議会で可決され、既に発効している周辺国ハンガリー系住民への二重国籍付与も批判の的だ。
そんな政策をあえて取ろうとする理由を考える時、ハンガリーの近代史を概観することが理解の助けになるかもしれない。
そこでまず、明治維新の前年となる1867年の世界遺産にも登録されている風光明媚な観光都市ブダペストへと目を移してみよう。
ドナウ川を望む地に建つ由緒あるマーチャーシュ教会では、オーストリア・ハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世の戴冠式が行われている。その頭上に輝いているのはローマ教皇から初代ハンガリー王イシュトバーンに贈られたという聖なるハンガリー王の王冠だ。
オーストリア王がハンガリー王を兼ねるという同君同盟の形式を取ることで、オーストリア・ハンガリー二重帝国なる連邦国家として、長年支配される側にいたハンガリーが新たなるスタートを切ったのである。
エリザベート時代に栄華を極めたブダペスト
その傍らにはエリザベート皇后が佇んでいる。宝塚歌劇団のミュージカルでお馴染みの死神にとりつかれた悲劇のヒロインだ。
この戴冠式の様子は、ミュージカルよりずっと明るくエリザベートの生涯を描いた3部作の第2弾『若き皇后シシー』(1956/日本劇場未公開)のラストでも見ることができる。
オーストリア皇室での窮屈な生活を嫌い、ハンガリーのゲデレー宮殿での生活を好んだというエリザベートの時代、ブダペストの街は栄華を極めた。
その証しが、ネオゴシック様式の国会議事堂など国の威信を懸け造られた豪華な建造物であり、ハンガリー建国1000年記念の博覧会でシンボルとなったヨーロッパ大陸最初の地下鉄、そして400件はあったカフェということになるだろう。