バンクーバー新報 2012年1月1日 第1号より

祖母の故郷を訪ねた日系3世 ローズマリー&ケン竹内さん

ローズマリーさん(左)と夫のケン竹内さん

 カナダに住む日系人にとって、先祖の故郷日本は遠い国ともいえる。言葉の問題から、日本に住む親戚とつながりが途切れたケースも少なくない。

 弟のデイビッド浜口さんが送ったメールがきっかけで、2005年に祖母の故郷青森県弘前市を訪ねた日系3世のローズマリーさんと夫のケン竹内さん。この訪日で対面した親類の本田セツ・光明夫妻の調査により、一族の家族史がひもとかれつつある。

 日系移民史の重要な資料にもつながる祖母工藤マキの渡加、大山卯吉牧師との結婚、戦前約600人に及ぶ日系人が住んでいたといわれる炭鉱町カンバーランドでの生活について、本田セツさんからの情報を含めてリポートする。

祖母の柳行李(ごうり)

 「祖母が日本から持ってきた柳行李があるんです。戦時中の強制移動のときにグリーンウッドに持っていき、その後も母が大切に保管していました」と話すローズマリーさん。会ったことのない祖母の話は、子どものころ母からたくさん聞かされた。

 明治時代に単身カナダに渡った祖母は、当時の日本人女性としては大変冒険心に富んだ人だったのではないか。それまで2度日本に行ったことのあるローズマリーさんは、祖母の故郷弘前を訪ねてみたいという思いを募らせた。

メールがきっかけ

 ローズマリーさんの弟のデイビッド浜口さんが弘前コンベンション・ビューロー(現・弘前観光コンベンション協会)に電子メールを出したのは2003年。「私の祖先は侍です。弘前公園の堀端に住んでいるはずの親類、工藤一郎さんを捜してくれませんか」と、英文で問い合わせた。

 海外からの突然のメールを受け取ったのは、当時のビューロー事務局次長でみちのく銀行の小林陽一さんだった。ローズマリーさんが後で聞いた話によると、弘前には工藤という苗字がたくさんあるが、小林さんが開けた電話帳の最初のページに工藤一郎さんの名前があったという。