誰からも注目されていない。株を持っている人もほとんどいない。従って株価は過小評価されている。でも、何も変わらないから買えない――悲しいかな、海外機関投資家の現在の日本市場に対する評価である。“Japan is unnoticed, underrepresented, so undervalued, but unchanging” こんな言い回しが流行っているそうだ。
かつては「バッシング(叩く)」の対象だった日本が、コーポレートガバナンスの弱さや成長力の乏しさを理由に「パッシング(素通り)」されるようになって久しい。市場には閉塞感が漂う。
そんな中で、「コーポレートガバナンスの立て直し」を御旗に立てた時計の名門・セイコーホールディングス(HD)のお家騒動が注目を集めている。果たしてセイコーは変革を遂げ、株式市場で信頼を勝ち得るようになるのだろうか?
2010年4月30日、セイコーHDは村野晃一会長兼社長を「一部の大株主と取締役の意を受けた独断経営により、取引先や従業員の不信感を招いた」として解任。創業家出身の服部真二副社長が新社長に就任した。
服部真二新社長によると「村野氏は(大株主でもある)服部礼次郎名誉会長らの意向に服従しているとしか思えない言動を続けており、取締役会の果たすべき合理的判断が支障を来すようになっていた」。礼次郎氏らの意向でこの2~3年で4人の役員が辞任に追い込まれたほか、不当降格人事が横行したとされ、服部新社長らは「古い体質を改める」ことで業績回復を目指すという。
解任劇の元凶とされる礼次郎氏は、創業者・金太郎の孫にあたり、第5代社長(服部セイコー時代)を務めた。1987年に社長退任、2001年には取締役からも外れたが、その後も大株主として、創業家のドンとして厳然たる影響力を行使し続けてきた。真二新社長は礼次郎氏の甥にあたる。
1881年創業のセイコーは、1964年の東京五輪以降、98年の長野五輪、2002年のソルトレイクシティ五輪などの世界競技大会でたびたび公式時計に採用されてきた老舗名門企業。ホンダ、ソニーと並び世界に通用する日本のブランドの代表格と言っていい。
しかし、金融界からは「高い技術力と世界に通じる企業名を持ちながら、それを生かし切れていない」(大手証券幹部)と厳しく評される。
機関投資家にしてみれば、お家騒動以前に、1980年代以降のスイス腕時計業界の躍進をなす術もなく許してきた、あまりにも不甲斐ない業績を看過できないということだろう。「スウォッチグループの反転攻勢の裏で、セイコーは失われた20年を過ごしてきた」(欧州系銀行幹部)。セイコーHDが態勢を立て直し、復活に向かう道のりは平坦ではない。
スウォッチの多品種少量生産と逆の道
セイコーの失われた20年は、クォーツ(水晶発振)腕時計の成功体験が招いた。