農業の後継者不足は深刻だ。農家に生まれながら、故郷から遠く離れた都会で農業とは別の仕事を選ぶ若者が少なくない。ずっと農業を身近に育った彼らの、農業に寄せる思いはさまざま。だが、ひょんなことをきっかけに地元に戻って農業に就くことを決める若者もいる。

 「ひょんなこと」は意外にも都会のど真ん中に転がっていた。

 「彼らに出会ったせいで、田舎に戻って農業をすることになりました」。そう笑顔で話す30歳、順風満帆なベンチャー企業社長の職を辞しても、地元に戻り農業後継者になろうと思わせた「ひょんなこと」とは――。(文中敬称略)

「継がなくてごめんなさい」のセガレたち

実家でこの冬、初めて作った赤ねぎ。火を通すと甘味がたっぷりでおいしい(「セガレの店」2010年1月17日撮影)

 2009年1月の午後。吉野敏充は、妻と2人でのんびり買い物をしながら東京・表参道をぶらついていた。その時、偶然、同世代の若者たち7~8人が鮮度の良さそうな野菜や果物を青空の下で販売しているのに出くわした。

 2人の目を引いたのは、彼らの格好だった。背中に水色の文字で「倅」と大きくプリントされたグレーのツナギと、白地に水色の文字でやはり「倅」と書かれた揃いのTシャツ姿。しかも、B4サイズほどの紙に「継がなくてごめんなさい」「嫁ぐなら農家」と手書きの張り紙を近くの壁に貼り付けている。

「国産にんにく、香りも味もいいですよ!」(「セガレの店」2010年1月17日撮影)

 小さなスペースだが、ニンジンやキャベツなどの野菜や果物にコメ、干し芋や切干大根などの加工食品を所せましと並べ、楽しげな声が響き渡る。

 「いらっしゃいませ。僕の父親の作ったキャベツでーす! 甘みがあっておいしいですよー」「岩手の実家のリンゴでーす。ぜひ召し上がってみて下さーい!」

 吉野は妻と2人で顔を見合わせた。

 「何なんだろう、この人たち」──。そう思って立ち止まったのが、農家を継がずに東京で働く息子・娘たちのプロジェクト「(倅)セガレ」と吉野との出会いだった。

農家は継がなかったけれど、親孝行したい

吉野さん(左)と「(倅)セガレ」創立メンバーの渡沢農さん(筆者撮影)

 「(倅)セガレ」が発足したのは2007年秋。都内で開かれた農業をテーマにしたビジネス講座で、当時20代後半だった渡沢農(山形県出身)、児玉光史(長野県出身)、名古屋敦(兵庫県出身)が偶然出会って始まった。

 親はそれぞれ農業を営んでいるが、息子である自分たちは東京に出て農業ではない仕事に就いている。父や母の仕事には誇りを持っているし、何かの形で親孝行のようなことができればと考えた。