今やテレビをつければ必ずどこかのチャンネルで見られるほどに海外の映像は氾濫しているが、以前は数少ない番組を探し出し貪り見たものであった。その草分けと言えば日曜朝に放送されていた「兼高かおる世界の旅」である。
兼高氏が世界中を飛び回る姿を見ては、羨ましさを通り越して自分とは全く違う世界のことという諦めしか感じないものだった。
日本が明治維新の頃、「80日間世界一周」が誕生した
そのオープニング、そしてエンディングには、「世界一周航路」を持つことが自慢だったパンアメリカン航空(パンナム)機の映像が使われ、バックにはおなじみ映画音楽の巨匠、ヴィクター・ヤング作曲の映画『80日間世界一周』(1956)のテーマ曲が流されていた。
究極の旅「世界一周」なんて、そんな物語の主人公のような人がするもの、と漠然と考えていた。
その『80日間世界一周』、映画そのものは、多くの人が結末をも知っている有名小説が原作であるがゆえ、先の読めるストーリー展開にもかかわらず、今見ても十分楽しめる娯楽大作に仕上がっている。
原作はフランス人作家、空想科学小説の祖、ジュール・ヴェルヌが『地底探検』『海底2万リーグ』といった「驚異の旅シリーズ」の一環として1872年に発表し世界中で人気を博した古典で、日本にも早々に1880年には紹介されていた。
しかし、時はまだ明治維新の頃、とにかくほかの国の情報に接することなど極めて稀な時代のこと、皆、心躍らせて読んだに違いない。
人類が月に行くことまでは予測できなかった
映画はまずヴェルヌの功績を称えるように彼の原作で映画創世記の1902年に撮られた『月世界旅行』の映像を小さく映し出すが、月世界の描写には科学的な匂いがゼロであることが示される。
するといきなり大画面へと転換、(当時の)現代のロケット発射風景となり、急速に科学が発展する様が提示されるが、その後わずか十数年で実際に人類が月世界に行くことになるとは製作者も全く考えていなかったようである。もっとも、今でも人類は本当は月に行っていないと考える人も多数いるのだが・・・。
以後「80日間世界一周」の物語が大画面で展開していくわけであるが、そのスケール感とともに次々と映し出される世界各地の風景が人気を集め、まだまだ行けぬ異国の地への憧れが膨らみ世界中で大ヒットを記録したのだった。