2009年12月16日、エゴール・ガイダル氏が53歳で亡くなった。ガイダル氏は、ソ連崩壊後のロシアでボリス・エリツィン大統領の下、急進的な市場経済改革を進めたことで知られる経済学者であり政治家である。
エリツィン大統領に認められ、若くして首相代行を務めることになった。しかし、急進改革が頓挫すると、首相代行を解任されてしまう。その後は、一時期、第一副首相、経済相などに返り咲くものの再び解任されるという政治家人生を歩んできた。
一方、経済学者としては、自らが設立した政策シンクタンクである移行経済研究所(IET)の所長を務めながら、経済学者の立場からロシアの経済政策にアドバイスし続けてきた。
1. 「ガイダーリズム」とは何だったか?
ロシアに関わる情報をビジネスマンや一般の方にも分かりやすく解説することが趣旨である JBpress でも、誰かがガイダル氏のことを取り上げその評価をする必要があるのではないかと考え、頼まれもしないのに自ら進んで引き受けることにした。
しかし、ロシア内外のメディアの論調を追うにつれ、この試みは大変気の重い作業であることにも気づいた。ガイダル氏の進めた急進的な市場経済化はロシアの人々に塗炭の苦しみを強いたとして、ロシア国内では概ね否定的評価が多い。
一方、我が国も含め西側のメディアの多くは、多くの重圧をはね除けて必要な改革を断行した勇気ある政治家として、その意志の強さを称えるとともに、その裏側に、彼のような「改革派」に対して冷淡で強権的な現政権を皮肉るといった論調が多いようだ。
驚くべきことに、首相代行、副首相、経済相といった政府の要職を務め、国会議員でもあった重要人物でありながら、ロシア下院は、彼の死を悼む黙祷の決議を否決している。死してなお、国内の一部では強い反発をもって受け止められる人物なのである。
すなわちガイダル氏を肯定的に評価することは、現政権を否定することにつながり、ガイダル氏を否定的に評価することは現政権を肯定することにつながるとでも言えるような、現代との直接的な関わりを突きつけてくる作業のように思えるのである。
「ガイダーリズム」と、彼の名を冠して呼ばれる政策は、いわゆる「ショック療法」として知られる経済体制移行の最も初期の政策であり、同じくポーランドで先行した体制移行政策「バルツェロビッチ・プラン」と並び称される。
積年の社会主義計画経済の機能不全により危篤状態に陥っていたソ連経済を、価格の自由化と国営企業の私有化を同時に進めることによって、一気に資本主義市場経済へ移行させようという政策だ。
これまでの計画経済の下で形成された頑強な既得権益層、特に軍産複合体などの抵抗に遭う前に、機会の窓が開いている短期日のうちに改革を行ってしまうというのが、その主たる狙いだ。