ラサの人口は44万人(チベット自治区全体で268万人)、そのうち、ラサ戸籍を持つのは半分くらいで、残りは皆「流動人口」だ。チベットの農村や他の地域から出稼ぎに来る人たちのことを指す。流動人口の80%が四川人で、ホテル、レストラン、旅行業などあらゆる業界で商売を営んでいる。そこら中で「川」という看板を見かける。
チベットで1000万円の高級車を乗り回す人々
政府・軍機関に勤めている人が3万~4万人いるらしい(まともな統計データは公開していない)。彼らはトヨタ自動車の「ランドクルーザー」や「プラド」などを乗り回している。とにかく日本車が多い。
ホンダ、日産自動車なども目にする。当局関係者が与えられる高級車はすべて中央政府からの支援で、1台50万~100万元(750万~1500万円)が相場だという。
ラサの貧富の格差は激しい。商店街でレストランや工芸品店などを営むラサ市民に数十万元もする車が買えるとは到底思えない。彼ら・彼女らはただ淡々と、しかし豊かな表情で、日々の生活に臨んでいる。
心の中では矛盾を抱えながら、それでも必死に笑顔を振りまいて、生きていこうとする笑顔に救われる。生きることこそが使命であり、どんな状況下でも、決してあきらめてはいけない。そういう目をしていた。
ラサを離れる前日の夜、ラサの旧市街地の中心にあり、7世紀中期に創建された吐藩時代の寺院「ジョカン」(世界遺産にも登録されている)を突き抜けて、ポタラ宮広場までやってきた。チベット滞在期間、筆者を襲い続けた高山病も、いくらか回復していた。
チベットで最も美しい光景
ライトアップされたポタラ宮は、チベットで一番美しい光景だった。チベットに来てから、初めて心の底から湧き出るインスピレーション。ラサのポタラ広場が一瞬にして、北京の天安門広場に変わった。
ポタラ宮と同広場の位置関係、その間にある市内で最も固く、広い道路。広場の先頭には、中華人民共和国の国旗が掲げられている。背面には「西蔵和平解放記念碑」とある。「毛沢東記念碑」を思い出させた。
チベットという政治的にも宗教的にも複雑な場所。でもここは中華人民共和国。
中央政府にしてみれば、北京もラサも同じだ。警備体制は天安門広場付近よりも断然厳しい。あたりを見回すと、武装警察たちが銃を持ちながらパトロールしている。チベット・ラサ、こここそが中国の政治の中心だったのか。天安門広場を彷彿させ、さらにそれを凌駕していた。