9月21日、ようやくオバマ政権は台湾から要請されていたF-16戦闘機につき、「より高性能」と言われる「C/D型」の売却ではなく、既に保有する「A/B型」のレトロフィット(retrofit改装・改造)に踏み切った。当然ながら、この問題で中国は反発し、台湾は安堵し、米議会共和党は激高している。

 だが、どうも筆者にはピンとこない。米国製武器の対台湾供与となると、やれレーダーが凄い、エンジンが高性能などといった個々の技術的性能ばかりに焦点が当たり、台湾の安全保障という本質が見失われがちだと思うからだ。

 今回は、こうした観点からF-16ファイティング・ファルコンの話を取り上げたい。

筆者とF-16との出合い

 F-16と聞くと特別の感慨がある。1988年夏、外務大臣秘書官から北米局安全保障課に異動となって、最初に担当したのが「FSX」開発計画だったからだ。FSXとは、日本による自主開発をめぐる侃々諤々の議論の末、ようやくF-16をベースに日米で共同開発することになった空自の次期支援戦闘機のことだ。

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2011年4月台湾で行われた軍事演習で高速道路に着陸するF-16〔AFPBB News

 当時はF-16を徹底的に勉強した記憶がある。日米の技術屋さんたちは素人を相手に懇切丁寧に教えてくれた。

 主翼の製造工場も見学した。今も筆者はなぜ金属の塊が空を飛べるか説明できる自信はないが、CCV/RSSやデジタル・フライ・バイ・ワイヤなど戦闘機の基本技術ぐらいは理解しているつもりだ。

 米空軍がF-16を正式採用したのは確か1975年である。制空用最新鋭主力戦闘機F-15があまりに高価だったこともあり、より小型で安価な格闘戦用単発エンジン戦闘機として開発されたものだ。

 当時の米空軍による航空戦闘の基本はF-15とF-16併用による「ハイ・ロー」ミックスなどと呼ばれていた。

 結局、FSXは日米のテクノナショナリズム(技術民族主義)の犠牲となり、共同開発は期待したほどの成果を挙げなかった。