自民党は新政権の審判者だ
9月28日に谷垣禎一氏が新総裁に選ばれた。新総裁は、政権の奪還を大声で叫んでいる。野に下った前政権党が、奪還を叫ぶのは当たり前である。だが、今日となってみれば、その道筋を違えておりはしないか。
政党の任務は、国家の繁栄と、自主独立を、そして平和を確保することではないか。政権は、その為の最短、最強の手段であるに過ぎない。自民党敗北の主因は、「目的と手段」を取り違えていたからではないか、そして、その誤りを今も尚、悟ろうとしていないようにみえて仕方がない。
神、仏が、野党としての本来の任務はかく在るべきだと云う姿を、党の体質として議会で示すべきだ、その任務を与えられたのが今日の自民党である。政権の確保は政党の目的ではなく、手段だとの自覚を忘れてはならない。
民主党は、新政権の座に就き、強力な威力を味わい、やる気満々である。
政治に飽きあきしていた国民は、不安と共に、期待を込めて民主党に注目している。
永田町の舞台では、選挙の結果、自民党は脇役でしかなくなった。それでも、脇役こそが舞台を盛り上げる、主役以上の使命が在る。
「自民党は脇役に徹せよ」、それが今日下された天命であると受け止めるべきだ。
かつて、民社党が是々非々を実行したとき、社会党の諸君は、民社党を第二自民党だと口汚く非難した、それでよい。審判者は国民である。そして神仏が暖かく守護していると信じていた。
負け惜しみではない。新政権の民主党を助けることになっても、国家の為、国民の為だと野党は決意しよう。もちろん、邪な時には、身命を捨ててでも闘うべきだ。
その道に徹し続ければ、もう野党としての修練は完了したよ、と新しい政権への大道が待ち受けていると信じる。それが神のわざだ。
