森喜朗元首相。田中角栄元首相もどきのキングメーカー。自らを含め自派から続けて4人の総理を送り出す。派閥の党支配と、政権維持のためだけの首相のタライまわし。本人が選挙を経ず、党幹部の協議によって総理となった経緯もあり、派閥・密室政治のけん引者と見られ、「嫌自民」を増幅させた。
3人の “世襲首相”。安倍晋三元首相は参院選の責任を取らず病気を理由に、また福田康夫元首相も民主党との大連立の失敗で、共に政権を投げ出した。麻生太郎前首相は世界的な経済危機に便乗し、解散を一寸延ばしにして居すわった。この世襲トリオのだらしなさが国民に愛想を尽かされた。
古賀誠・前選挙対策委員長。東国原英夫・宮崎県知事を引っぱりだしての大バクチ。だが同知事に「オレを自民党の総裁候補として戦う覚悟があるのか」と居直られる始末。総選挙危うしと見るや、都議選の責任を取ると称して、委員長の辞任を表明。敵前逃亡ともとれるその進退ぶりに、不信感が募った。
“国策捜査”。東京地検特捜部が西松建設事件で民主党・小沢一郎代表(当時)の公設第一秘書を逮捕した。このため代表は辞めたが、「小沢民主」のままだったら、ここまで勝てたか疑問だ。検察の介入が結果的に相手側を利した。
国民の中へ飛び込め
このさい自民党の元首相や派閥の領袖たちは、一切の役職を離れ、一党員に還って全国行脚に専念すべきだ。日ごろ民主党は “辻立ち” や草の根運動を展開しているのである。公明党におんぶした安易な戦いでは、到底政権奪回はできない。「保守本流への回帰」を掲げ、率先して国民の中へ飛び込むことである。
昭和30年(1955年)、当時の民主党と自由党の保守合同によって、今日の自由民主党ができた。その後、54年間にわたり、この国を支えて来たのである。そこには先人、先輩たちの苦闘があり、秋水の言を借りれば「幾多志士仁人の五臓を絞れる熱涙と鮮血」が流されていることを忘れてはなるまい。
このままでは民主党政権の独占が続く。健全な二大政党制を確立させるためには、何としても自民党の奮起がのぞまれる。そのためには野党で徹底的に冷や飯を食い、国民の苦しみを身をもって知ることだ。いつまでも過去の栄光にすがっているならば、再生どころか、まさに「自民党の死」につながるのである。