実は、地震の復興事業は国が一元的に管理しているわけではなく各省市が担当している。例えば最も被害が大きかった都江堰から映秀鎮を抜けて汶川県の中心までは広東省が担当し、そこから先は別の省が担当している。
庶民の義援金もあり急速に復興

高速道路の品質が良かったのは、広東省の土木業者が行ったからなのだろう。
汶川を境にあまりに道路インフラの復興具合が異なっていたのは、目立つ震源地周辺にヒト・モノ・カネのリソースを集中しているためのようだ。それにしても、復興の方法がなんとも中国らしい。
資金面にしても、震災直後、中国各地の都市の義援箱には、最高額紙幣の100元紙幣がどんどん投げ込まれていた。
そうした庶民の義援金による資金面のサポートもあり、震源地周辺の復旧が迅速にできたと考えられる。
きれいな新道沿いには新たにレストランや商店、ガソリンスタンドなどができた。その一方で巨大な岩が落ちてきて破壊された家が、意図的に観光名所として遺跡として残されている。
新しい家を素直に喜ぶ住民たち

地元の人たちは新築の家を見て、「家が半壊したり全壊したりしてしまった人々に対し、新しい住居があてがわれた。ありがたいことだ」と心から言う。
もし、日本人なら長年住んだ愛着ある家が壊れて、それが観光名所になろうものなら、どれだけ心を傷つけられるか。
しかし、中国ではそういう郷愁にふける人たちはほとんどいない。
築20~30年もしない集合住宅が、区画整理のために次々と瓦礫になり、新しい住宅地・商業地に生まれ変わるのに慣れているためかもしれない。新しい家の支給を純粋に喜ぶ人も多いそうである。
壊滅的な被害を受けた映秀鎮の入口では、往来する車を止めて、被災地見学ツアー有料ガイドを志願する現地の人の姿もあった。
汶川に行くために頼んだタクシードライバーは、高速道路のトンネルの入口でトンネル上のいまだ復旧途上にある旧道を指し、「今まで都江堰まで1~2時間もかかったが、今では数十分で行くことができるようになったんだ!」と笑顔を見せた。
日本人と中国人の考え方の違いがあるから当然ではあるが、震災後の様子は日本人が予想しそうな絵図とは随分異なっていた。