『神無き月十番目の夜』は、約400年前の1602年10月10日、常陸国と陸奥国の境で起こった史実に基づく歴史小説だ。ただ、一般的な歴史小説とはひと味も、ふた味も違う。誰もが知っているような全国区の超有名武将はほとんど登場しない。「歴史通」には名の知れた人物は何人か登場するものの、飯嶋和一が主役に据えたのは、名もなき土豪や百姓たちだ。

神無き月十番目の夜
飯嶋 和一著、小学館文庫、670円(税込)

 物語は、女・子どもまで一人残らず切り殺された直後の、奇妙な静けさに包まれた常陸国・小生瀬村の光景から始まる。タイトルの「神無き月」は、10月の異称である神無月であり、首を切り落とされ、鳥に目玉をついばまれた死体が散らばる「神無き」悲惨さをも指している。

 江戸初期、それまで常陸国で善政を敷いていた佐竹義宣が、徳川によって秋田転封を命じられたことがそもそもの悲劇の始まりだった。新しい支配者を迎えることになった小生瀬の領民たちは、徳川方から送り込まれてきた検地役人の横暴ぶりに不満を蓄積させていく。

 単に、課される年貢が厳しくなるだけではない。慈しんで育ててきた青田を踏みにじり、独立・自主の気風や文化をないがしろにし、村の信仰の対象である聖なる土地にまで役人が足を踏み入れたことで若衆の怒りは臨界点を超える。村人たちは、一揆へと駆り立てられ、そして、結局は、徳川の威力を示すため「一村皆伐」という見せしめに遭う。

 正直を言えば、ページをめくるたびに息苦しく、救いの無い物語だ。それは、『神無き月十番目の夜』が、歴史小説であると同時に、現代の物語でもあるからだ。

 「なぜ、政治は民を幸福にすることができないのか」「なぜ、支配者は異文化を受け入れず、画一を押しつけるのか」「武力では解決できないと分かっているのに、なぜ、人は、武力にうったえてしまうのか」――400年という歳月を経ても、結局、人間はその答えを見つけることができていない事実を突き付けられる。

 テロを正当化するつもりはない。しかし、アメリカンスタンダードだけが、世界を平和にするわけではないということを考えさせられる。

 飯嶋和一は寡作の作家だ。魂を削るようにして、膨大なエネルギーを注いで書いていることが伝わってくる。その分、読むのにもただならぬエネルギーが必用で、一文字一文字、噛みしめるように大切に読まなければ受け止めきることができない。しかし、疲れきって読み終えた瞬間、もう一度、最初のページに戻って読み返したくなるような物語でもある。