大阪鋼管株式会社
〒859-3454
長崎県佐世保市針尾北町813-1

 ローテクを侮ってはいけない。長崎県佐世保市の金属加工メーカー大阪鋼管は100年以上もの間、1つの技術を徹底的に磨き上げることで成長を遂げてきた。

 同社が製造・販売するのは冷間引抜鋼管。「冷間引抜法(れいかんひきぬきほう)」という方法で作る金属パイプだ。主に化学プラントや電力プラントの圧力配管用パイプ、油圧パイプ、熱交換器用パイプなどとして用いられる。

 冷間引抜法とは、金属パイプを小径の穴に通して反対側から引っ張ることで、さらに細くて長いパイプを作る加工法だ。10トン以上の力でパイプをぐいっと引っ張り、真っ直ぐ伸ばしていく。コンピューター制御による複雑な多軸加工などと比べると、その様は、まさに「ローテク」なのである。

加工される前の金属パイプ

 現在、日本で冷間引抜鋼管を作るメーカーは二十数社ある。その中で最初に冷間引抜を手掛けたのが大阪鋼管だった。創業者は野辺市治郎氏。野辺氏は明治時代にドイツで引抜鋼管技術を身につけて帰国。その後、1921(大正10)年に大阪で大阪鋼管を創業した。以来、金属パイプを細い穴に通して引き抜くというやり方は基本的に変わっていない。

 だが、同社は決して時代に取り残されているわけではない。石油プラントなどに使われる熱交換器のチューブは国内で約半数のシェアを握り、引き合いが絶えない。また、多くのメーカーが原料価格の高騰に見舞われて収益減にあえぐ中で、大阪鋼管は鉄の値上がりを販売価格に転嫁させている。2007年度には売上高139億円、税引前利益が11億円という過去最高の業績を記録した。

80億円の投資が大きな重しに

 実は、1999~2000年頃、業績はどん底の状態だった。最大の原因は、旧本社敷地を活用した不動産業が大きく足を引っ張ったのである。大阪鋼管は1968年からJR大塔駅(長崎県佐世保市)の近くに本社・工場を構えていた。しかし次第に近隣に住宅が建ち始め、住民から「工場がうるさくてかなわない。他の場所に移転できないのか」という声が出てくるようになった。90年代に入ると、工場敷地に大型スーパーを招致する話が持ちかけられる。坂根康伸社長はその話を受け入れ、土地を提供することにした。

約120名の社員を率いる坂根康伸社長

 96年に大塔を離れて現在の場所に工場を移転。九州ジャスコに旧本社敷地と建物を貸与するというビジネスに着手した。しかしこの不動産ビジネスを始めるのに、巨額の費用がかかった。まず工場の移転に30億円以上、ジャスコ向けの建物を建設するのに40億円以上を費やした。合わせて約80億円の投資である。「売り上げが100億円しかないのに、80億円も投資する馬鹿がどこにいるのか」と先代社長からは怒られた。しかし、坂根社長は必ず利益の出るビジネスになると説得。97年に建物が完成し、「ジャスコシティ大塔」が開業した。

 ジャスコシティ大塔の建設費用と工場の移転費用で、毎年、数億円の減価償却が発生することになる。本業で利益が上がっていればその額は問題ないはずだった。ところが97年に消費税率が引き上げられると景気が冷え込み、急激に受注が減ってしまった。

 翌年の決算で、坂根社長は社員に対して「大丈夫だ。ちゃんと黒字になる」と強気の姿勢を崩さなかった。しかし腹の中では「これはどうやっても赤字になるな」と覚悟していた。手持ちの株を売るなどしてなんとかしのいだが、いよいよ売るものがなくなった。