混沌とした状況に置かれている日本の政治・経済。今ほどリーダーシップが問われる時代はない。鳩山首相は、どのようなかじ取りを見せるのか。
政権交代のタイミングに合わせ、政治学者、姜尚中氏が最新刊『リーダーは半歩前を歩け』を上梓した。姜氏が考えるリーダーシップのあり方と新政権の課題を聞いた。
──リーダーシップについて考えるようになったきっかけは何ですか。
姜 小泉(純一郎)首相の出現が大きかったですね。自民党の政治家をはじめとする戦後の政治リーダーたちは、基本的に「透明人間」でよかったんです。ところが小泉さんは透明人間ではなかった。戦後の歴史で初めて日本にリーダーが登場したというイメージがありましたよね。
1950年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学・政治思想史。著書に85万部のベストセラー『悩む力』のほか、『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『ナショナリズム』『東北アジア共同の家をめざして』『日朝関係の克服』など。共著に『ナショナリズムの克服』『デモクラシーの冒険』ほか。(写真:前田せいめい)
小泉さんが街頭演説すれば、多くの人が押し寄せて大騒ぎになりました。あんな光景はそれまで見たことがなかった。おそらく国民の中に、潜在的にリーダーを欲する願望があったからでしょう。その小泉現象を見て、リーダーについて考え直さなければいけないと思いました。
でも、小泉さんの登場で日本はどうなったか。結果的に、小泉さんとその後に続く総理たちによって、小泉さんが言った通り自民党はぶっ壊されました。それだけではなく、社会は閉塞感に覆われ、日本の成長を支えてきた様々なビジネスモデルが行き詰まっています。
じゃあ、どうしたらいいのか。やはりリーダーがどうあるべきかを根本的に考え直さなければならない時期に来ているんです。
──かつての日本のリーダーが「透明人間」だったというのは?
姜 戦後の日本のリーダーは社会のビジョンを示す必要がありませんでした。目標設定としては「所得倍増」とか「列島改造」とかいくつかありましたけど、でも、それは社会がどうあるべきかというビジョンではなかった。
言ってみれば、リーダーは床の間の掛け軸でよかったんです。みんなが力を積み上げて、最後に「お飾り」として座らされていた。その典型が宇野(宗佑)さんでしょう。森(喜朗)さんも結果的にそうなってしまった。竹下(登)さんのように自ら透明人間の役を買って出て、徹底的に演じきった人もいました。
なにしろ日本は米国に巨大なオムツをはかされていましたから。米国とソ連の冷戦構造の中で、日本の立ち位置は固定化されていたということです。オムツをはかされていたから日本は米国に守られ、思った以上の繁栄を享受することができた。
でも、その構図が冷戦の終結以降、崩れてきた。特に90年代末に日本経済が最悪の状況になって、自殺者の数も跳ね上がりました。「だんだんとオムツを外す時が来たようだ」「リーダーが透明人間では済まされなくなってきた」と、みんなが思うようになった。そこに小泉さんが大きな期待を背負って登場したわけです。でも、小泉さんは本当のリーダーではなかったんですね。
──では、鳩山政権になって、初めて本来のリーダーシップが発揮できるだろうということでしょうか。