このほか若手議員には、世襲の壁に阻まれて自民党から出馬を許されず、止むなく民主党に転じた議員も少なくない。こうした「センセイ」の思想・信条は本来、自民党と大きな違いがない。
民主党は2009年8月30日の衆院選で308議席の圧勝を収めたものの、参院では単独過半数に及ばない。このため、社民党や国民新党と連立政権を組まざるを得ず、閣僚ポストも与えなくてはならない。祖父同様、由紀夫氏も他党に借りをつくる形で政権を発足させる。
由紀夫氏、ソフトな外見と裏腹の強かさも・・・
ソフトな外見とは対照的に、実際の由紀夫氏は強かな面を持ち合わせている。
1990年代の村山、橋本両連立政権の下、筆者は時事通信経済部から政治部へ出向し、当時40代の由紀夫氏が代表幹事を務め、連立与党の一角を占めていた新党さきがけを担当した。
連日接していると、由紀夫氏のある種の「能力」に気づいた。党内や連立与党の実力者やベテランに気圧されるように見えても、そのパワーを吸収してしまい、いつの間にか優位に立つ不思議な力を備えているのだ。永田町という内輪の評価より、メディアを通じて世論の視線に注意力を払うという、当時では少数派の政治家だった。
さきがけを飛び出して新党結成に動いた際、由紀夫氏はさきがけ代表の武村正義元蔵相らベテラン幹部に対し、「ご遠慮していただきます」と宣言した。いわゆる、「排除の論理」を振りかざしたのだ。武村氏は著書で当時の心境を率直に明かしている(『私はニッポンを洗濯したかった』毎日新聞社)。
「私たちは『この際、さきがけを一新しよう。場合によっては党首も党名も変えてもよい』と提案したが、鳩山さんは、ちょっとやそっとでは応じない。強気の姿勢は崩さなかった」「なんで、そんなことになるのか。それにしてもどうして直接テレビで(筆者注=「排除の論理」を)あからさまにいってしまうのか。まったく解せない話である。弟の邦夫さんがいわせたと解説する人もいた」
武村氏が指摘するように、当初の由紀夫氏は邦夫氏と「兄弟新党」を目指していたが、程なく袂を分かつ。邦夫氏は月刊文藝春秋2009年8月号で兄の「実像」に関して持論を展開している。
鳩山邦夫氏「兄は日本一の政界スイマー」〔AFPBB News〕
「兄は努力家です。しかし信念の人ではまったくないと思います。自分の出世欲を満たすためには信念など簡単に犠牲にできる人です」「ズルイ人ですから、いまでも政界遊泳術という点では日本一のスイマーでしょう。最後に自分がうまく昇りつめられるように、すべて計算して生きてきたという感じがします」
政治的バイアスのかかった人物像に違いないが、一般的なイメージとは異なる由紀夫氏の強かな一面を紹介しているようにも思う。
幹事長に封じ込め? 小沢氏は毒にも薬にも・・・
祖父同様、由紀夫氏も「寄合世帯」で政権運営を強いられる。既に、小沢一郎氏を幹事長に起用して党務・国会運営の全権を委ねる人事に対し、メディアは「権力の二重構造」「事実上の小沢支配」などと批判している。
しかし由紀夫氏としては、総選挙圧勝の立役者に対して何らかの論功行賞が必要である。しかも2010年の参院選で民主党が単独過半数を制するには、再び小沢氏の選挙戦術に頼まざるを得ない。だとしたら、強かな由紀夫氏は小沢氏の卓越した能力を活用するため、ポストを与えて党内に封じ込めたとの見方も可能かもしれない。
小沢氏は総選挙で100人を超す「チルドレン」を当選させ、小沢グループは党内最大の150人規模まで膨張した。鳩山内閣が退陣する危機が起こっても、菅氏や岡田氏、前原氏と3枚の「カード」がある。1年ずつで交代しても、4年後の衆院議員の任期満了までキングメーカーとして君臨できる――。小沢氏がそう計算している可能性は排除できない。
仮に政策や路線をめぐり党内抗争が激化した場合、小沢氏はチルドレンを引き連れて飛び出し、他の保守勢力と合流した上で新党結成も視野に入れるはずだ。
由紀夫氏にとって小沢氏は、毒にも薬にもなる存在。小沢氏が「寄合世帯」の実力者連に睨みを利かせながら、自らは政権運営の「顔」に徹する。こうした役割分担を、強かな由紀夫氏は頭の中で描いているのではないか。

