2009年9月16日、第93代内閣総理大臣に民主党の鳩山由紀夫代表が国会で指名され、鳩山連立政権が発足した。

民主党、衆院選マニフェストを発表

政権交代、鳩山内閣発足へ〔AFPBB News

 吉田茂元首相との政争に勝利を収め、1955年の保守合同で自民党を結成した鳩山一郎首相。その孫の由紀夫氏が、吉田氏の孫である麻生太郎総裁が率いた自民党に引導を渡し、「55年体制」は崩壊した。それを歴史の皮肉と言うべきか、あるいは必然なのか。そして新政権誕生は「09年」体制として後世に名を残すのか、それとも人々の記憶から消える運命にあるのか・・・。

 「寄合い世帯の弱さを持っているといわざるえない。この弱体性は鳩山政権自らが知っている」「対米依存から自主外交へというところまで転身できるかには疑問がある」「多くの批判は、鳩山政権の公約は、その意図通りにゆかぬだろう、としている」

 上記は、鳩山新首相に対する新聞の解説記事から抜粋したものである。といっても、論じている対象は由紀夫氏ではない。国会が一郎氏を首相指名した翌日の「鳩山政権の性格」という記事なのだ(1954年12月10日付朝日新聞朝刊)。

 名門一家の祖父から孫へ日本の最高権力が受け継がれるまで55年の歳月が流れたが、首相就任時の2人をめぐる政治環境には驚くほどの類似性が見られる。

 一郎氏が総裁を務めていた日本民主党には、反「吉田茂首相」の保守勢力が結集。三木武吉氏や石橋湛山氏、河野一郎氏らアクの強い党人派政治家の牙城となっていた。

 朝日新聞「天声人語」(1954年12月11日付朝刊)は、難航した組閣の様子を次のように描写している。

 「寄合世帯の悲しさで、鳩山新内閣の組閣は必ずしもスラスラとはいかなかった。自由、改進、日自の旧三党間で出資株に応じたイスの配分、その中でも何派何派と小座敷の仕切りが多いので、何度も差替え入れ変えして大臣の部屋割に苦労したようだ」

 しかも日本民主党は少数与党だから、首相指名投票で野党の左右社会党に賛成票を投じてもらい、一郎氏は吉田氏の後継者・緒方竹虎自由党総裁を破ることができた。その代償として、左右社会党が要求した衆院の早期解散という交換条件を呑まざるを得ず、「伝家の宝刀」を抜く時期を首相が縛られるという異例の船出となった。

反自民「選挙互助会」? 右から左まで多士済々

多士済々? 寄り合い所帯?

 一方、由紀夫氏の民主党も多士済々。「人材の宝庫」なら聞こえは良いが、反自民党の「選挙互助会」とも揶揄されてきた。右から左まで、この政党のスペクトラムは実に幅広い。

 主な民主党幹部の出身政党は、自民党=鳩山代表、小沢一郎代表代行、岡田克也幹事長、羽田孜最高顧問、渡部恒三最高顧問、藤井裕久最高顧問▽社会党=輿石東参院議員会長、横路孝弘衆院副議長▽民社党=川端達夫副代表、直嶋正行政調会長、平野博文役員室長▽社民連=菅直人代表代行、江田五月参院議長▽日本新党=前原誠司副代表、野田佳彦幹事長代理(肩書きは2009年9月14日時点)