日本の原風景と言ってもいいのだろう。山と田んぼに囲まれた小さな集落。その集落を貫くように、透き通った川が流れている。セミの鳴き声がなん層にも重なってシャワーのように降り注ぐ中、捕虫アミを持った子供が、父親と一緒に川遊びに興じている。

イベントに参加し、川で遊ぶ親子たち

 子供の夏休みの風景として、これほど完璧な絵はない。だが、あまりにも完璧すぎて、一種のもの悲しさすら感じられたのも事実だ。

 夏の出来事は、とかく刹那的で、喪失感を予感させるものである。だが、もの悲しさの正体はそれとは違う。というのも、私が見ていたのは本来はあり得ない光景なのだ。山の中の小さな集落で親子が川遊びに興じるなんて、今や日本の日常的な風景としては、まず見られないものだろう。

 なぜなら山間部の集落に若い親子はもういないからだ。みんな町に出ていってしまった。残されているのは高齢者ばかりである。

 実際、目の前で川遊びをしていたのは、集落の親子ではない。その地域で開催される、あるイベントに参加するために、町から車で1時間かけてやって来た親子たちなのだ。

 おそらく昔は、集落の親子が日常的にこうやって川で遊んでいたのだろう。目の前の光景の向こうに、昔の集落のにぎわいを想像した。

野菜を植えて収穫を体験

約65世帯が暮らす渋川地区

 JBpressで「まちづくりの哲学」を連載している小川仁志さんが、以前、限界集落に関するコラムを書いてくれた。限界集落とは、高齢化の進展によって共同体の維持が限界に達している状態を言う。そのコラムによれば、小川さんの地元、山口県周南市に、渋川地区という限界集落がある。渋川地区では、地区に残る高齢の主婦たちが地域の活性化に取り組み、効果を挙げているという話だった。

 8月初旬、渋川地区で地域活性化の一環として「渋川のふれあい交流」(以下、ふれあい交流)というイベントが開かれるというので、小川さんに案内してもらい、一緒に訪れた。

 JR徳山駅から車で1時間近く北上すると、渋川地区にたどり着く。標高が約400~500メートルあり、日差しは厳しいのだが高地ならではの爽やかな風が吹いている。山、川、田園と美しい自然の風景が広がる。しかし、前述したように過疎化と高齢化が進む典型的な限界集落である。65世帯のほとんどが、高齢の1~2人暮らしだ。

ふれあい交流に参加し、野菜を収穫する親子

 ふれあい交流は、町から家族を招いて、山村ならではの自然を体験してもらうイベントだ。さつまいも、ジャガイモ、ニンジンといった野菜の収穫や畑の管理、そして川遊びなどを楽しんでもらう。夜はキャンプを行い、収穫した野菜でカレーなどを作って食べるというもの。

 ふれあい交流が始まったのは2008年。参加しているのは、山口合同ガス・徳山支店の社員とその家族である。山口合同ガスでは労働組合が福利厚生の一環として社内で参加者を募っている。

 今回は、5つの家族(約15人)が参加した。参加者の1人(父親)は、「家族で自然に触れ合えるとてもいい機会なので参加しています。また、ふだん、子どもたちは店で売っているものしか食べたことがありません。こうやって自分たちで育てたものを食べるのは、食育という点からも意義のあることだと思います」と語る。

隅々まで手が生き届いた集落

 このイベントを、中心になって企画、主催しているのがむらづくり組織「渋川をよくする会」(以下、「よくする会」)だ。小川さんのコラムにも登場した、「地区に残る高齢の主婦たち」が結成した全戸加入の組織である。

 よくする会の結成は2003年。限界集落を活性化させ、甦らせる取り組みとして、全国的に注目されている。全国の自治体が頻繁に見学に訪れ、よくする会の会長である安永芳江さんは、県内外の講演に引っ張りだこだ。2007年にはその活動が「農山漁村いきいきシニア活動表彰 優秀賞 <農林水産省経営局長賞>」を受賞した。また、2008年は地元のテレビ局、YAB山口朝日放送が渋川に約1年はりつき、よくする会の活動や村の様子をテレビで伝えた。