イノベーションの研究が大変に興味深く、かつ容易ではないのは、知識がその重要な源泉だからである。

 知識は土地、エネルギーなどの通常の財とは大きく異なった性格を持っている。その1つは多数の企業・人が用途を制約されることもなく、同時に自由に使えることである。これを経済学の用語では「利用における『非競合性』がある」と言う。

 新しい知識の利用の拡大にはコストがかからないので、その知識を活用した新たな製品、あるいは新たな生産プロセスなどの形で、知識の便益は広く世界に及ぶことになる。

 また、知識自体の物理的な減耗もない。よって、一度生産された知識は、より優れた知識の登場などによって陳腐化しない限りは、永久に人類によって使われ続ける。

毎日3000万人以上の患者が服用する薬

 こうした知識の1つの例を挙げよう。2008年、医学分野で国際的に高い栄誉である米国のアルバート・ラスカー医学研究賞(ラスカー賞)を、遠藤章・東京農工大学名誉教授が受賞した。

 遠藤博士は、三共(当時)の研究員であった1971年から約2年かけて、米国留学当時から抱いていた仮説(「コレステロールの吸収阻害剤より合成阻害剤の方が有効」および「カビとキノコの中には他の微生物との生存競争に打ち勝つための武器として、コレステロールの合成阻害物質を作るものが存在する」)を証明するために、延べで約6000株のカビとキノコを調べ、血中コレステロールを下げる物質「コンパクチン」を発見した。

 コンパクチンは現在「スタチン」と呼ばれる一連の新薬群(コンパクチン同族体)の開発の基礎となり、動脈硬化や心臓病の特効薬として毎日世界で3000万人以上の患者が服用している。

 遠藤博士のこの発見は、より優れた医療方法が見つかるまでは半永久的に、世界中の動脈硬化や心臓病の潜在患者の生存を助けることになる。

 このように、知識の非競合性という特性から、知識の生産、それを利用したイノベーションこそが、経済成長の真の源泉と言える。

知識から得られる利益をいかに専有するか

 「利用における非競合性」という知識の特徴は、「『専有可能性』が限られている」という、知識のもう1つの特徴の原因となっている。

 専有可能性とは「自ら生産した知識が生み出す便益を、どの程度自らの利益として確保できるか」であり、知識の開発インセンティブの源泉である。

 知識の利用における非競合性ゆえに、他者が無断で知識を利用しても、それ自体を認識することさえも往々にして困難である。

 特許制度は、新たな発明に排他権を与えることで、専有可能性を強める仕組みであるが、特許制度があっても、ある知識を利用したイノベーションは、それが有用であればあるほど、しばしば競争的に起こることになる。上記のコンパクチンのケースも、三共の他、メルク、ファイザー、塩野義製薬などによる、スタチン開発競争をもたらした。

 この専有可能性をいかに確保するかが、イノベーション経営の最も重要な論点の1つである。