2009年7月21日、衆院が解散された。与野党は8月30日の投開票日に向け、事実上の選挙戦に突入した。民主党が致命的な失策を犯さない限り、政権交代は間違いない。世論の大多数は麻生・自民党政治にうんざりしている。民主党への「不安」は残るが、自民党への「不満」の方が大きい。メディアの関心も今や、自民党より民主党の政策である。衆院選で自民党は死屍累々の地獄絵を見ることになろう。民主党代表・鳩山由紀夫の言葉を信じれば、政権交代後に「革命」が始まる。明治以来の官僚主導の政治は、本当に終わりを告げるのだろうか。(敬称略)
「わたしの発言やブレたと言われる言葉が、国民に不安や不信を与え、自民党の支持率低下につながった。深く反省している。東京都議選をはじめ、一連の地方選挙において所期の目的を果たせなかった。改めておわびを申し上げる」
首相・麻生太郎は7月21日午前、解散直前の自民党両院議員懇談会に臨み、これまでの自らの発言の「ブレ」や地方選連敗の責任を認めて陳謝した。「俺はブレてない」と言い張ってきた麻生にしてみれば、異例の低姿勢である。
ここまで麻生が頭を下げたのは、自身に対する党内の反発を少しでも和らげたかったから。選挙直前に反省の弁を語るなんて、プライドの高い麻生にしてみれば断腸の思いだったはずだが、そうでもしないと党内が収まらなかった。
「私の願いは1つ。立候補予定者は全員揃って帰ってきていただくことです」。こう語り、党の結束を呼び掛けた麻生の目は潤み、涙声だった。
この後の代議士会で、反麻生勢力を代表する元幹事長・中川秀直が「きょうの総理総裁の挨拶はよかった。潔く総理のご決断を受け入れる」と語り、首相とがっちり握手。このシーンを見て結局、「自民党の政局もこの程度に落ちたのか」と痛感せざるを得なかった。
いや、政局と呼ぶにも値しない。政局を動かす人望も政治的力量もないことを中川は露呈した。なんともくだらない茶番劇を、メディアは延々と報じてきたものだ。「麻生降ろし」をめぐる自民党内のドタバタ劇は、「あほらし」の一言に尽きる。
ブレと迷走の末、打つ手なくなり「やっと解散」
兎にも角にも、麻生は発言のブレと迷走を続けながらも、何とか自らの手で解散にこぎつけた。本人とすれば感無量だろう。だが、国民はずっと待たされてきたのだ。
解散のネーミングは様々だが、「やっと解散」との思いが筆者には強い。
2008年9月の政権発足以来、麻生は一体何度、解散を先送りしたことか。「政局より政策」「100年に1度の経済危機、景気対策優先」とうそぶきながら、その実は世論調査の結果を見て「今、解散しても自民党に勝ち目がない」と不安に駆られたのだ。それで解散に踏み切れず、先延ばしを続けてきたにすぎない。
「待てば海路の日和あり」。麻生がそう思っていたとしても、無駄だったわけである。結局、内閣支持率は2割前後というドン底に落ちたままで、任期満了直前の選挙に突入するしか打つ手がなくなった。