麻生降ろしを狙い両院議員総会の開催を求めて奔走した中川秀直氏、武部勤氏らの動きは結局、議決が拘束力を持つ「総会」とはならずに「懇談会」なる玉虫色の衣装に衣替えして終結することになった。それに至る自由民主党内での駆け引きは様々な展開があったものの、結果から見えてきたのは新しい自民党の顔となるリーダーがいないということだった。
より正確に言えば、リーダーがいないのではなく「自民党的リーダー」が見つからなかった。当選回数を重ね党三役や国務大臣を経験するなど、これまでの伝統的な道のりを歩んだ議員の中には、この緊急時に麻生太郎首相に代わって次を託せるリーダーが不在だったということだろう。
自民党の選挙対策委員長だった古賀誠氏が東国原英夫・宮崎県知事に衆院選挙への出馬を依頼して、古賀氏が自民党内からも大きな反発を受けることになったのは、まさにこの意識のずれを国民に明らかにしたと言える。
自民党は東国原氏から総裁を条件にされるなど露ほども思わなかったに違いない。だが、既に企業社会では、伝統的企業にあっても社長選びの手法は様変わりしている。若手の抜擢もあるし、子会社の社長や外国人の採用も日常茶飯だ。
いかに元お笑いタレントであろうと、既に “一国一城の主” になっている知事に出馬を依頼して、そんな条件が出るはずがないと思っているのは、いかにも支持を失っている自民党らしい。そろそろ本気でリーダーのあり方を考えるべき時だろう。
では、自民党内にリーダーが不在かと言えば、資質を持った人材は豊富にいる。とりわけ現在の政治に危機感を抱く若手には多い。そうした若手リーダーの抜擢は自民党を再生するには不可欠だろう。JBpressでは、そうした若手リーダーにもスポットを当てていきたい。1回目の今回は自民党の中山泰秀・衆議院議員を取り上げた。
中山泰秀氏は世襲議員の1人である。祖父は元参議院議員の中山福蔵氏、祖母は女性初の大臣となった中山マサ・元厚生大臣。父親は建設大臣・国土庁長官を務めた中山正暉氏だ。伯父は衆議院議員で元外務大臣の中山太郎氏。典型的な政治一家と言える。
2回煮え湯を飲んだ3世議員
議員の世襲化は日本の大きな問題だが、ただ世襲を理由に優れたリーダーの候補者を排除してしまっては意味がない。また、中山氏は「地盤、看板、カバンの3バンを引き継ぐのが世襲の定義だとしたら、私は父親とは違う選挙区だし、お金も引き継いでいない。引き継いだのはせいぜい看板ぐらい」と言う。実際、衆院選挙に打って出たのは父親が引退する前の1996年の総選挙だった。大阪府第5区から出馬したが見事落選。また次の2000年の総選挙では比例区の近畿ブロックから出馬したがこれまた落選。2度続けての落選を味わっている。
2003年の衆院選では大阪4区から出馬したものの、小選挙区ではまたも落選。しかし、比例区で復活当選した。2005年に小泉元首相が突然解散した郵政選挙では大阪4区から出てライバルに大差をつける当選を果たした。
世襲とは言われながらも苦労を重ねた末につかんだ衆議院議員のポストであり、外交問題などについて研究熱心なことから、2007年の安倍晋三内閣では外務政務官を務め、続く福田康夫内閣でも留任した。自民党きってのアイデアマンとしても知られ、様々な政策提言を行っている。