1972年のニクソン電撃訪中以来、日本では「米中が日本の頭越しに取引するかもしれない」というトラウマが消えない。最近では「米中G2時代」の到来を懸念する声すら聞かれる。果たして米中関係は本当に日本を外した形で進展していくのだろうか。今回はこの問いに答えよう。

米中対立の構図は基本的に変わらない

 まずは第2次大戦後の米中関係の歴史を振り返ってみたい。大きく4つの時期に分かれる。

(11949~71年

 中華人民共和国建国は東アジアにおける冷戦の幕開けだった。今では信じられないことだが、当時は朝鮮半島や台湾を巡る緊張が続き、米中は常に政治的、軍事的対立関係にあった。その象徴が日米、米韓、米華(中華民国)の安保条約であったことは言うまでもない。

272~89年

フォード元大統領死去、93歳 - 米国

第37代米国大統領の故リチャード・ニクソン氏(左)。右はニクソン氏辞任を受けて第38代大統領になる故ジェラルド・フォード氏〔AFPBB News

 72年のニクソン訪中後、78年末からの改革開放政策を経て、世界は米中両国が「新たな関係」に入ったものと受け止めた。当時、米外交の主要関心事はソ連という「悪の帝国」であり、中国は社会主義ながら、そのソ連と対立する存在だったからだ。

 80年代末にソ連東欧の社会主義政権が崩壊すると、状況は一変する。米国にとって中国は必ずしも戦略的利益を共有する相手ではなくなった。仮想敵国だったソ連が消滅しても、中国は軍事力の近代化を止めなかった。天安門事件後も政治改革を行う気配を全く見せなかった。

31990年~2000年

 ビル・クリントン大統領は選挙戦中こそ厳しい対中姿勢を取ったものの、その後態度を二転三転させた。中国を「戦略的パートナー」と呼ぶかと思えば、1996年には台湾海峡で軍事的示威行動を取るといった具合だ。当時、中国との政治・軍事対立と経済関係強化という狭間で、米国の対中姿勢は揺れに揺れていた。