「総務相の辞表を提出して参りました。今回の首相の判断は間違っていると思います」――。6月12日、麻生太郎首相との面会を終えた鳩山邦夫氏が官邸の1階ホールに現れると、待機していたマスコミがワラワラと集まり、二重三重の輪ができた。
鳩山氏にはスポットライトが当たり、あちこちからマイクやICレコーダーが差し出される。日本郵政の西川善文社長の続投に異論を唱え続けてきた鳩山氏の動向は、それまでも連日のように新聞やテレビを賑わせてきたが、世間の注目が最高潮に達した瞬間だった。
まるで2005年夏の「デジャビュ」。
当時、輪の中心でスポットライトを浴びていたのは、竹中平蔵郵政民営化担当相。小泉純一郎首相の命を受けて、民営化の具体策作りを進めていた竹中氏の一挙手一投足には、常に注目が集まっていた。民営化に反対していたのは、野党ばかりではない。特定郵便局長のOBらで作る政治団体を集票マシーンとしてきた自民党内でも、民営化路線に異を唱える声は少なくなかった。
衆院を通過した郵政民営化法が参院では否決に追い込まれると、小泉純一郎首相は「郵政民営化の是非を国民に問う」と言い放ち、衆院解散の奇策に出る。党内の民営化反対派に「抵抗勢力」の烙印を押し、「刺客」を送りこんで選挙に大勝し、宿願である郵政民営化を実現した。
4年を経た今、再び、郵政は来るべき衆院選挙の争点になろうとしている。
しかし、選挙のたびに、政治に翻弄され、経営を縛られる組織が民間企業として自立できるはずがない。民営化の成功には日本郵政グループ自身の努力が大前提だが、このままでは政治が民営化を失敗に追い込むことになりかねない。
続投反対は正義か? 駆け引きか?
鳩山邦夫氏は、西川氏の続投に異を唱えた際、「正義か、不正義かの問題」と啖呵を切った。しかし、単なる、きれいごとではないことは誰の目にも明らかだ。
麻生太郎首相自身が「私は、もともと、民営化には反対だった」と本音を漏らしたように、自民党の大勢は本来的には郵政民営化反対論者だ。小泉元首相が衆院選不出馬を表明し、世界金融危機で改革路線が揺らいだ今、自民党内では民営化見直し論者が息を吹き返しつつある。
さらに、自民党の支持率が低迷する中、邦夫氏の兄が代表を務める民主党の存在感が高まっている。民主党の鳩山由紀夫代表は、繰り返し西川社長の続投を批判し、小沢一郎代表代行は「郵政改革はまやかし」と断じた。
政権交代が実現すれば、トップ人事はおろか、郵政民営化の制度設計そのものの見直しの可能性が取り沙汰される中で、鳩山邦夫氏の発言は、政界再編の火種にもなりかねないことを、本人も重々承知であったはずだ。
組織改革に明け暮れた12年間
ここで、郵政民営化の足どりを振り返ってみよう。
1997年12月、政府の行政改革会議が郵政3事業一体の公社化を最終報告。2001年1月の中央省庁再編により、旧・郵政省の郵政3事業部門が切り離され「郵政事業庁」発足。事業庁の発足と同時に、公社化への組織転換に向けた準備が始まり、2003年4月「日本郵政公社」が発足した。