豊臣秀吉の野望が眠る「肥前名護屋城」歩くとわかる、急速に廃墟になった理由 石垣山一夜城とよく似ていると称された城がはなぜ、意図的に崩されたのか 2024.2.16(金) 西股 総生 フォロー フォロー中 生活・趣味 歴史 シェア10 Tweet この写真の記事へ戻る 名護屋城 撮影/西股 総生(以下同) 肥前名護屋城・本丸への石段。かつて秀吉も踏みしめた石段だ 玄界灘を望む名護屋城の天守台。430年前、壮麗な五重の天守が対馬海峡を睨んでいた 天守台は本丸の北側に大きく張り出している 石垣は崩落が激しく、城跡には廃墟の空しさが漂う 広大な本丸には秀吉の御殿が建っていた 石垣はW形に崩され、隅の算木積みも落とされている。意図的な破却がうかがえる 名護屋城の本丸側から見た天守台