5月21日、中国の温家宝首相が東日本大震災の被災地である福島県を訪れた。温家宝首相は放射能の恐怖をものともせずに、福島第一原発事故の避難住民が暮らす避難所を訪れ、福島県産のサクランボ、キュウリ、ミニトマトを食べるパフォーマンスを行った。
テレビ画面に映し出されたのは、温家宝首相の好々爺ぶりだった。避難所を訪れる温家宝首相が見せたのは、2010年9月の頃とは同一人物と思われないほどの柔和な表情だった。
中国での報道のトーンも、震災を経てガラリと一変した。5月9日の「中国新聞網」は「震災後、中日関係は改善の軌道に入った」と伝えた。
先の日中友好議員連盟の訪中には習近平副主席が出迎え、「中日の国民感情を改善し、敏感な問題を穏当に処理し、中日関係をいっそう発展させたい」と応えた。また、中国の雑誌「世界知識」は「尖閣問題はアメリカの妨害が根源だ」と攻撃の矛先をアメリカに転じた。
震災で日中関係改善の流れが決定的に
ふり返れば2010年9月7日、尖閣諸島沖で発生した衝突事件を機に日中関係は谷底に転落した。船長の拘留が延長されると、中国は閣僚級の交流停止、航空路線増便交渉の中止、石炭関係会議の延期などの報復措置を矢継ぎ早に繰り出し、10月に入ると中国各都市で反日デモが発生した。
日本でも対中感情は悪化した。内閣府の「現在の日本と中国の関係」についての調査によると、「良好だと思う」との回答は、調査開始の1986年以来史上最低の8.3%にまで落ち込んだ。
ちなみに小泉内閣時代の2005年に起きた反日デモの直後ですら、19.7%の落ち込みにとどまっていた。菅政権における日中関係は、近年希に見る厳しい状況にあったと言っていい。
ところが、中国で次第に変化が表れた。国際世論は中国批判を高め、また、日中が割れれば米国の介入を許すという懸念が生まれる。そのため、中国は日本への攻撃の手を緩めざるを得なくなった。
2010年12月以降、中国の報道には徐々に「改善色」が見え始めた。12月20日、丹羽宇一郎駐中国大使が「敏感都市」南京を訪れた時も、各メディアは好意的にこれを報道した。
そして、改善の流れを決定的にしたのが、3月11日に発生した東日本大震災だった。