「輪中」にある神社
では実際にお参りに行ってみよう。大混雑を体感したければ前述のような特定日に行くのがよいし、週末も食べ歩き目的でやって来る地元系観光客が人気店の前で行列している。ゆっくりお参りしたいなら平日がよいが、参道の店が閉まっている場合もあるので、特に行きたい店がある人は事前にチェックしておこう。
近隣には電車の駅がないため車で行くのがよいが、無理ならどこかの駅からのバス便を探す。ただしこれは本数が少ないので要注意だ。なにせこの神社とその参道の周辺は広大な水田地帯で、近隣に他に訪ねるべき場所は見当たらない。この神社がある海津市は、濃尾平野を流れる長良川、木曽川、揖斐川の3つの大河が合流する場所で、輪中と呼ばれる地域だ。
輪中とは、川に囲まれた居住地域を水害から守るためまわりに堤防を張り巡らす、この地方特有の集落の形である。稲作に必要な水は豊富だが、毎年のように洪水に苦しめられる人々。彼らにとっておちょぼさんがどれほど大切な存在であったかは、想像に難くない。
このような立地条件のため、田んぼの真ん中にいきなり赤い鳥居が聳えたっている。南の大鳥居から東の鳥居までのおよそ600mの参道には、ぎっしりと飲食店や商店が並ぶ。その数およそ120軒。地元のテレビ局がタレントさんを連れて取材に来るほどのグルメスポットなのだが、詳しい説明はのちほどということで、まずはお参りだ。
南の鳥居をくぐって少し歩くと、左手に小さめの鳥居が重なっている。これは千代保稲荷とは別の荷席稲荷という神社である。このあたりは前述のような地理条件により水害が絶えなかったため、この場所には大人の背の二倍ほどの高さの小山が築かれて「助命壇」と呼ばれる避難所となっていたという。この地域の人々は、せっせと育てた稲もろとも命を奪われる危機と隣り合わせで生きていたということだ。
やがて京都からやってきた早川という一族がこの地の地頭となり、京都から伏見稲荷の分霊を勧進して助命壇の上に祀った。それがこの荷席稲荷の始まりだ。
現在は小高く造営された小さな丘の上に社殿が建っている。地域住民の命を助け続けたありがたい神であると同時に、忘れ物や探し物にもご利益絶大とのことである。
そしてその奥には、現在も続く早川一族の末裔の住宅がある。京都からやってきた早川家はこの地に定住して豪農となったが、明治時代の濃尾地震により邸宅が崩壊。その後、耐震性、水害対策なども考えた画期的な技術で新たな大邸宅を再建し、現在は国の重要文化財にも指定されている。写真で見る限り、実に立派な建物群である。見学も可能だが、日時指定で事前予約が必要だ。チャンスがあればぜひ実物を見てみたい。