「死の質」を社会がどう保障するのか

 特に進行性の難病患者にとって、自由が奪われていく過程は、自己のアイデンティティが崩壊していく過程に等しいのかもしれない。孤独な自決を選んだり、多額の費用をかけてスイスへ渡ったりするのは、彼らにとっての「生」が、単に心臓が動いていることではなく、「自分らしくあること」を意味しているからだ。

 彼らが求めているのは死そのものではなく、自分の物語に自らピリオドを打つ「自己決定権」である。

 スウェーデンでも、安楽死を巡っては法的・倫理的障壁がある。しかし、当事者たちの叫びは一貫している。「自分のいる場所で、愛する人とともに、人間として去りたい」という願いだ。

 死をタブー視し、一律に延命を美徳とするのではなく、個人の価値観に基づいた「死の質(QOD: Quality of Death)」を社会がどう保障するのか。超高齢社会を生きる私たちは、自身の「最期の一頁」をどう描くかという重い宿題に直面している。