若年層から「老害」の烙印も

 左派が「保守的」に映る一例としては、たとえば、2024年衆院選の争点の一つとなった「紙の保険証」の存廃がある。

 立憲や共産などは「紙の保険証を守ります」と訴えたが、こうした主張を、堀江貴文氏やひろゆき氏といったインフルエンサーはSNS上で繰り返し批判し、高齢者に迎合する「シルバー民主主義」、日本のデジタル化やイノベーションを阻む「老害」勢力として印象づけた(伊藤昌亮)。

 左派やリベラル派が「保守的」に見える例は、「103万円の壁」でも同様だった。国民民主の玉木雄一郎氏は、パートやアルバイトの課税発生額である「103万円の壁」をとりあげ、大学生や主婦層の手取りを増やすと訴えて若年世代の支持を得た。

「年収103万円の壁」などに関し合意書を交わし、撮影に応じる(左から)国民民主党の榛葉幹事長、自民党の森山幹事長、公明党の西田幹事長(写真:共同通信社)

 私自身、大学で講師をしながら、授業アンケートなどを通じて「103万円の壁」の打破が大学生から歓迎されていることを痛感した。年間103万円とは月にならせば8万5000円であり、大学生や主婦のあいだで所得税の発生と手取り減は深刻に捉えられてきた課題である。これまで政治的無関心とされてきた若年層は、「シルバー民主主義への反乱」という形で、たしかに政治的に「覚醒」したのである。

 それに対する左派やリベラル派の反応は複雑であった。「103万円の壁」の是正が若年世代に歓迎されている現状を前に、しかし自分たちこそ「真の若者の味方」というスタンスを迫られ、その結果、左派やリベラル派は、「103万円の壁」の是正はしょせん弥縫策であり、本来は「学生がアルバイトをしないで勉強できる社会を作らなければならない」として、給付型奨学金の拡充を訴えるものであった。

 しかし、何より実際に大学生の立場になって考えてみればいい。当事者の大学生にとって、いつ実現するかもしれない「学生がアルバイトしなくてよい社会」よりも、来年のアルバイトの手取りが増える方がはるかに現実味を感じられるだろう。そこにあって、理想論をかざして眼前の具体的改革の問題点を指摘する左派は、転じて、改革に水を差す「保守的」な立場に映ったであろう。

 ここには、現状の「根本的解決」を掲げる立場が、実は現状の改革を遅らせる足枷と映り、「保守的」に捉えられるというパラドクスがある。