左派の再生があるとすれば……

 有権者の世代交代と社会の地殻変動をうけ、社会はたしかに変わってきた。そして、それは左派が望んだのとは別の形で、であった。

 左派やリベラル派は、その変化と自分たちの信条とを折りあわせることのできないまま、変化そのものに受動的で、結果として「保守的」な立場に追いやられている。現在、日本の左派やリベラル派はこのような隘路に陥っている。

 しかし、だからといって、左派やリベラル派を外部から攻撃したり、その理想そのものを揶揄する冷笑主義に同調したりすることもできない。左派やリベラル派が再生するためには、その内部からの自己改革として、時代の変化を受けいれ、それに順応する姿勢が必要だろう。

 もちろん、救いもある。これから日本の有権者のボリュームゾーンに躍り出る現役世代には、反戦平和主義や反権威主義といった〈戦後民主主義〉的な価値観にはコミットしていないものの、子育てや教育など将来世代への支援を望み、個人の成長のための社会投資型の福祉国家を支持する「新しいリベラル」(橋本努・金澤悠介)が勃興しているという。

 左派やリベラル派の再生があるとすれば、世代や価値観の異なる他者と対話を通じて、これら「新しいリベラル」の民意の受け皿となること、そのための不断の自己改革に乗りだす以外にないであろう。

【参考文献】
◎遠藤晶久「“共産党は保守”と受け止める40代以下の世代」、nippon.com、2024年7月19日
◎伊藤昌亮「『石丸・玉木・斎藤現象』で可視化された苛立つ若者たち」『潮』2025年2月号
◎橋本努・金澤悠介『新しいリベラル』ちくま新書、2025年