生成AIで大量の低俗コンテンツを生み出した者の勝ちとなる「スロップ・エコノミー」(筆者がBing Imageで生成)
(小林 啓倫:経営コンサルタント)
ノーベル経済学賞受賞者である経済学者のハーバート・サイモンは、1971年に発表した論文の中で、「情報の豊かさは注意力の貧しさを生み出す(A wealth of information creates a poverty of attention)」と指摘した。情報が過多になると、人間がそのすべてを処理できなくなるため、その中の何に関心を向けるかという「注意」が相対的に不足するようになるという話である。
1997年、社会学者のマイケル・ゴールドハーバーはサイモンの考えを発展させ、インターネットの台頭により、物質的な経済から「注意」を基盤とする経済へ移行しつつあると主張。その状況を「アテンション・エコノミー(Attention Economy、日本語では「注意経済」や「関心経済」などと訳される)」と名付け、注意が通貨のように機能するという概念を提唱した。
21世紀に入ると、この予測がさまざまな形で具現化されるようになり、私たちにとっても身近な概念となっている。
近年、アテンション・エコノミーが「スロップ・エコノミー」に変化しつつあるという指摘が増えている。いったいどういうことなのだろうか。
アテンション・エコノミーとは何か
もう少し詳しく、アテンション・エコノミーについて説明しておこう。
よく「○○エコノミー」という表現が使われるが、それは「○○」の部分に入る概念や行動、具体的な資源が、その経済圏における中心的な存在になるという意味だ。アテンション・エコノミーとは、人々の注意が経済活動の中心になる、平たく言えば「お金を生み出すもの」になるということだ。
デジタル時代のいま、「データは新しい石油」などと表現され、データが経済的価値を生み出すという意味で「データエコノミー(データ経済)」という概念が唱えられることもある。
確かにそれが成立する分野もあるのだが、前述のサイモンの言葉通り、データ、すなわち情報が増えても人間が注意・関心を向けられる能力や時間が増えるわけではない。そのため、何らかの形で情報を人々に提供するビジネスでは、人間の注意こそがデータよりもさらに希少で、価値のある資源として認識されるようになった。
それがよく分かるのが、各種SNSの状況だ。

